「チーム200キロ」優宇が語るプロレスデビューまでの苦難 嫌がらせを受けた柔道時代、別の道も断念して辿り着いたリング (3ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

【柔道部で嫌がらせを受け、不登校に】

 中学では、柔道部に入部。全国大会に出場する強豪校だった。優宇は千葉大会で優勝し、高校から推薦の話がきた。その時に初めて「これはもう、プロレスにつながっていないな」と思ったという。

 推薦で高校に進学し、柔道部に入部。1学年上の先輩たちと、副顧問の先生から嫌がらせを受けた。「週2回、実業団の練習に行っていたのが気に食わなかったのかもしれない」と当時を振り返る。無視されたり、「練習をしないで、どこどこで遊んでいた」といった根も葉もない噂を流されたりした。

「副顧問の先生が本当に嫌いでした。自分は超級だったので体重が100kgちょっとあったんですが、乱取りの時、鏡に先生の頭を突っ込ませたりしていました。当時は、ほかの部員も『憎い』と思っていたでしょうね」

 2年生の時、3年生を倒して県大会で優勝した。関東大会では3位になって夏休み中に開催されるインターハイに出場。しかし、「インターハイに出場する」という目標を達成したことで燃え尽き症候群に陥ってしまう。

「人って目標を達成したら、新しい目標を作り続けないといけないんですよね。でも若かったですし、嫌がらせが続いていたこともあって、夏休みが明けてから学校に行かなくなっちゃったんです」

 木村浩一郎に「学校に行ってないんだったら、道場に来い」と言われ、半ば引きずられるように木村の道場に行った。そこで教わったレスリングは楽しかったが、「プロレスが好きで柔道を始めたのに、なんでこうなってるんだろう......」とまた落ち込んだ。

【調教師を目指すも挫折。プロレスの道へ】

 再び学校に通い始めたのは3年生の春。その年は関東大会の決勝で敗れ、インターハイには出場できなかった。大学から推薦の話がきたが、もう柔道はやりたくない。それだけは心に決めていた。動物が大好きだった優宇は、イルカ調教師の専門学校に進学する。

 しかし、調教師には絶望的に向いていなかった。笛を吹いてイルカに生け簀(いけす)を一周させるトレーニングをした時、100人弱の学生のなかで、優宇だけがイルカに水深10mまで引きずり込まれた。

「水泳もできるし、手を離せばよかったんですけど、パニックになるとダメですね。なんとか水面に上がった時、みんなに『すごいよ。めちゃくちゃイルカに舐められてる』と言われました」

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