オカダ・カズチカがアントニオ猪木に聞きたかったこと。プロレス人気の拡大へ取り組む「育成」とその狙い (4ページ目)
【「プロレスのリングでキックボクシング」も面白い】
――2022年8月に第1子の男の子が生まれましたが、プロレスとの向き合い方は変わりましたか?
「そんなに変わってないですね。『ケガなく帰ろう』と強く思うようになったくらいで、『この子が大きくなるまでは頑張る』といった使命感なども生まれていません。僕が闘う姿は、大きくなったあとに映像で見てもらえばいいかな(笑)」
――2022年は新日本50周年の節目でさまざまな興行やイベントがありました。来年はまた新たなスタートとなりますが、オカダ選手はどのように団体を引っ張っていきたいですか?
「50周年は"お祭り"だと思っていました。本当にいろんなイベントがあったんですが、僕たちが闘っていい結果を残していくことは、何周年であっても変わらない。50周年だからこそ得られたことも多いとは思いますけど、それは『50周年じゃないとできない』ということではないと思うんです。勢いを保ちながらいろんなことにチャレンジして、もっと興味を持ってもらえるようにしたい。僕たちも痛い思いをするなら、たくさんお客さんがいる前でのほうがいいですし(笑)」
――新日本プロレスが盛り上がった先にどんなビジョンがありますか?
「プロレス界全体が盛り上がって、格闘技界全体をリードできるようになるのが理想です。時には、他の格闘技団体と協力し合ってもいいと思うんです。例えば、プロレスの大会の中にキックボクシングの試合があったら、『プロレスよりも面白い』と思うファンの人もいると思いますし、逆もあると思うんですよ。そういう交流も、多くの人に届かせる、知ってもらうことを考えればアリじゃないかと」
――ジャンルを越えて、広い意味での交流があってもいいということですね。
「そうですね。総合格闘家がプロレスルールでやる、といったことがあっても面白いと思いますし、お互いの活性化につながる可能性もある。うまくいくかはわかりませんが、失敗を恐れずにチャレンジを続けていきたいです」
【プロフィール】
◆オカダ・カズチカ(おかだ・かずちか)
1987年生まれ。愛知県安城市出身。191cm、107kg。中学を卒業後、15歳でウルティモ・ドラゴンが創設した団体「闘龍門」に入門。2004年にメキシコでプロデビューし、2007年に新日本プロレスに移籍。2012年に棚橋弘至を破り、24歳でIWGPヘビー級王座を初戴冠。同年、「G1 CLIMAX」に初出場して最年少優勝記録を更新した。プロレス界にカネの雨を降らせる"レインメーカー"として活躍を続け、現在の日本プロレス界を象徴する存在となっている。
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■取材協力:ニッポン放送『TheDeep』毎週日曜20:00〜20:20放送中
◆『アントニオ猪木追悼大会 WRESTLE KINGDOM 17 in 東京ドーム ~闘魂よ、永遠に~』
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◆フジテレビ『THEスピリット~闘魂レスラー発掘プロジェクト~』
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【画像】新日本50周年の「主役」。オカダ・カズチカの激闘フォトギャラリー
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