世界的に偉大な王者だったザ・ファンクスとハーリー・レイスの素顔。私生活での振る舞いは対照的だった (3ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

「実はテリーが引退したのは、映画俳優になろうと思ったからなんです。1978年にシルベスター・スタローンが監督・主演した映画『パラダイス・アレイ』に出て、その時にスタローンと仲よくなった。テリーもプロレスより映画俳優のほうが稼げるとその気になったそうなんですよ。

 馬場さんが引退する時に『甘っちょろい考えしてるな』と言ったんですが、やはりそうは問屋が卸さなくて、俳優としてはうまくいかなかった。翌年に復帰した時は、『やっぱりな』と思っていたと思いますよ」

 リング上でまばゆい光を放っていたザ・ファンクスだが、私生活では周囲を振り回していたようだ。

 一方、同じNWAのタイトルを手にしたレスラーのなかで、和田がもっとも忘れられないのはハーリー・レイスだという。レイスは通算7度にわたって世界最高峰の王座を極め、「ミスタープロレス」と呼ばれて選手の間でも尊敬されていた。

「レイスは受け身の大天才です。『美獣』という異名だったんだけど、どこが美しいのかといえば、それは受け身の美しさ。馬場さんも若い選手に、『受け身はレイスを見て勉強しなさい』と教えていました」

 レイスは1968年2月に日本プロレスの興行で初来日し、1973年2月からは全日本のリングでも活躍。NWA王者になったあとも日本の興行に参戦を続け、1982年8月にジャンボ鶴田からUNヘビー級王座を、その約2カ月後にはジャイアント馬場からPWFヘビー級王座を奪取するなど、看板レスラーとして幾多の激闘を演じた。

 レイスはリングを離れれば、親分肌で後輩レスラーたちの面倒見がよかったという。

「お酒を飲む時も、お店に外国人選手をみんな呼んでいましたよ。そして、支払いはすべてレイス持ち。思い出すのは、和歌山県の南紀白浜で試合があった時に、海っぺりのレストランに日本人も外国人も呼んで、みんなに酒をもてなしていた姿ですね。あれはカッコよかった。まさにNWA世界王者という風格がありましたね」

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