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世界的に偉大な王者だったザ・ファンクスとハーリー・レイスの素顔。私生活での振る舞いは対照的だった (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Hiraku Yukio/AFLO

 ドリーとテリーの兄弟は、父親でプロレスラーのドリー・ファンク・シニアの影響と指導を受けてレスラーとなり大成した。シニアと全日本プロレスの関係は深く、デビュー前のジャンボ鶴田、天龍源一郎がテキサス州アマリロに住むシニアの自宅でプロレス修行をするなど、ファンク一家は選手を育ててくれたコーチでもあった。

「シニアと馬場さんはそういう関係性だったから、ファンク一家については馬場さんも文句が言えませんでした。他の外国人レスラーと違って、"別格"とも言っていい存在でしたね」

 リングを離れた時の姿で思い出すのは"マイペースぶり"だという。

「電車でもバスでも移動する時には、言い方は悪いけど、チンタラして行動が遅いんですよ。ホテルでバスの出発時間なのに、まだレストランで朝飯を食べているとかね。あと、ドリーは自分のバッグを持たなかった。ある時、バッグが外に置かれたままバスが出発したことがあって、ドリーは『なんで持ってこないんだ』と若手に怒ってね。馬場さんが『バッグくらい自分で持てよ』と注意すると、ドリーは『あれは、ヤングボーイ(若いレスラー)の仕事だ』って言い返して。馬場さんも呆れてました(笑)。

 テリーも自由奔放で、天然なイメージでしたね。馬場さんは、NWA世界チャンピオンになったレスラーが来日する際、飛行機はファーストクラスを用意していました。そこに乗っている人は社会的に地位のある人ばかりなんだけど、テリーは短パンにビーチサンダルで乗ってくる。テリーらしいといえばそれまでなんだけど、馬場さんは『頼むよ。もうちょっとちゃんとしてくれよ』って嘆いていました(笑)」

 リング上で息の合った連係プレーを見せていた兄弟は、私生活でも仲がよかったという。しかし、テリーが膝のケガを理由に39歳で引退。1983年8月31日に蔵前国技館で引退試合を行ない、「ザ・ファンクス」は消滅した。 

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