ジャイアント馬場のプロレス観も凌駕。
四天王に「こいつらはすごい」 (2ページ目)
のちに天龍は、馬場がこの世を去った翌年の2000年7月に、馬場の夫人で社長を務めていた元子さんの要請を受け、全日本プロレスへ復帰する。直前に三沢光晴ら選手や社員の50人近くが離脱して「プロレスリング・ノア」を設立したため、その危機を乗り切る手段だったが、一度"裏切った"人間を戻すことはファンに驚きを与えた。
「あの時、ファンの中には天龍さんを戻すことに違和感を覚えた方も多かったと思います。でも、僕は当たり前だと思っていました。なぜなら、馬場さんの意向を聞いていましたから。天龍さんが出ていった後も、馬場さんは『本当に全日本が立ちいかなくなることがあれば、天龍を戻す』とおっしゃっていたんです。もちろん、元子さんもそのことは聞いています。自分の後継に考えていた天龍さんのことを、それほど認めていたんです」
天龍に特別な思いを抱いていた馬場。一方で、自らが第一線を退いた1990年代に入ると、馬場のプロレス観を変える戦いが全日本プロレスで始まった。
それが三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太の4人による「四天王プロレス」だった。天龍ら主力選手が「SWS」に移籍し、団体存亡の危機に立った時に残された「四天王」は、地方でも絶対に手を抜かない全力ファイトを見せた。それまでに多かった反則負けやギブアップなどではなく、ピンフォールでの決着を目指すことは馬場自身が四天王に要求したことだが、4人はそんな馬場の構想を凌駕した。
「馬場さんは、体が大きい人を優遇してきたんです。体が大きければリングに上がっただけでも説得力が生まれますから。でも、天龍さんたちが出て行ったあとに彼らが激しくやりあっている姿を見て、『こいつらすごいな』と驚いていました。
馬場さんが考えていた最高のプロレスは、自分もやってきた観客に"魅せる"アメリカンスタイルのプロレス。しかし四天王の4人は、受け身が取れない頭から落とす技もしますし、エルボーや蹴りも、頭や顔面にバチバチ入れる。その想像を超えた試合に馬場さんのプロレス観が覆ってしまったんです。
彼らの試合は本当に認めていましたよ。日本武道館の試合が終わった後なんて、涙を流しながら『今日の試合は本当によかった。あいつら最高にすごいな』と言って、レフェリーを務めた僕にも"ボーナス"を渡してくれました。その時に『僕だけもらったら悪いです』と言ったんですが、馬場さんは『バカヤロー。あいつらにもちゃんとやってるよ』と笑っていました。馬場さんの中で、四天王プロレスはアメリカンプロレスを完全に超えたんですね」
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