比嘉大吾、帰ってこい。減量失敗の大罪を抱え、ふたたび立ち上がれ (2ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by AFLO

 ネリを罵倒しておきながら、適正階級で比嘉が再起してくれる日が1日でも早く訪れることを願うのは、ダブルスタンダードだと言われるだろう。それでもかまわない。体重管理に関して、比嘉に甘い部分があったことは否定できない。それでも、この22歳のボクサーがどれほどの重荷を背負い、どれほどの情熱をボクシングに込めてきたかは伝えておきたい。

 比嘉大吾というボクサーの物語は、沖縄が生んだ天才ハードパンチャーが世界チャンピオンになる物語ではない。高校時代の成績は全国ベスト8が最高。しかも、1回戦をギリギリ勝ち上がり、2回戦で不戦勝した末での成績だ。以前、比嘉に聞いた。

「世界チャンピオンになるために必要なものは?」

 彼は「運」と即答した。

「具志堅会長と野木(丈司/じょうじ)トレーナーに高3のタイミングで出会っていなければ、僕は世界チャンピオンにはなれていません。誰といつ出会うかは、運だと思います」

 入門直後の比嘉に、野木トレーナーは「お前は世界チャンピオンになれる」と言った。比嘉は、その言葉を信じた。ちょうど春だったと比嘉は記憶している。桜の木の下、花見で集まった友人たちの前で、まだ無名のボクサーは、こう宣言した。

「ごめん。世界チャンピオンになるから、今までのようには一緒に遊べない」

 比嘉はすべての息抜きを捨て、ボクシングに集中した。

 野木トレーナーのトレーニングが過酷なことは有名だ。師事する世界3階級制覇王者の八重樫東(あきら/大橋ジム)は、こう言う。

「いい意味でクレイジー。壊れるギリギリまで鍛える。当たり前のことだけやっていたら勝てない。成長や勝利は、その先にあるから」

 具志堅会長が、比嘉で世界を獲れなかったらジムをたたむつもりでいたことは広く知られた話だ。そして、比嘉はその重責をも背負った。

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