【国際プロレス伝】右足を切断されながら、相手に殴りかかっていった男 (2ページ目)

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

 大剛との思い出を懐かしそうに語るアニマル浜口 大剛との思い出を懐かしそうに語るアニマル浜口 あの若木さんにそんな体勢を取らせた大剛さんという人は、本当に大変な人物ですよ。僕も世界を周っていろんなレスラーや格闘家を見てきましたが、大剛さんのような目ん玉の人はいないです。その目は狂気をはらんでいましたね。

 大剛さんが「格闘技で強くなるためには、どんなトレーニングをしたらいいですか」と教えを乞うと、若木さんは「引きつける力を強くするためにアームカール(ひじを曲げてダンベルを持った状態から、さらにひじを曲げてダンベルを肩に近づける動き)をしなさい」とアドバイスしてくれたそうです。すると、大剛さんはそれから毎日120kgのダンベルを持ってアームカールをやっていたというのです。

 ただ、吉原(功/よしはら・いさお)社長も、大剛さんがカナダから帰国されるのを楽しみにされていたんですが......」

 1974年3月26日に故郷・仙台の宮城県立スポーツセンターで開催される「チャレンジシリーズ」で凱旋帰国を飾る予定だった大剛は、その直前の3月18日にカナダ・アルバータ州のハイウェイで交通事故に遭遇。乗っていたトレーラーがスリップして立ち往生し、クルマを降りて点検していたところに同じくスリップして転倒したバイクがスピンしながら衝突してきて、大剛はレスラー生命を絶たれる重傷を負ってしまったのだ。

「事故の衝撃で右足が切断され、左足もグチャグチャになっていたのに、衝突してきたライダーに『この野郎、テメェ!』と殴りかかろうとして、そのあと気絶したそうです。壮絶でしょ。痛みを超越した大剛さんの気迫......驚きというか、すさまじい。まさに狂気ですよね」

 レスラーとして引退を余儀なくされた大剛は、カナダに残って国際プロレスの北米支部長となり、ジプシー・ジョーなど数々のレスラーを来日させた。その一方で、日本から遠征してくる若手レスラーの面倒も見続けたという。

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