【国際プロレス伝】アニマル浜口とプロレス
「ナニワで運命の出会い」

  • 宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya
  • photo by Nikkan sports, Sano Miki

【第1回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 早稲田大学レスリング部から社会人レスリング選手を経て、力道山率いる「日本プロレス」へ。日本ライトヘビー級チャンピオンとなるなどプロレスラーとして活躍したのち、日本プロレスの取締役営業部長を務め、退団後に国際プロレスを創設。日本のプロレス界を改革すべく、数々の新機軸を実現していく一方、ジャイアント馬場の全日本プロレス、アントニオ猪木の新日本プロレスに対抗する第3勢力として一時代を築いた、吉原功(よしはら・いさお)とはどんな男か──。

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引退セレモニーで別れの挨拶を行なうアニマル浜口引退セレモニーで別れの挨拶を行なうアニマル浜口「アニマル」の名付け親・吉原功(1)

 1987年8月20日、両国国技館──。新日本プロレスのリングで行なわれた、「アニマル浜口引退セレモニー」。アントニオ猪木、藤波辰巳、長州力、武藤敬司、小林邦昭、藤原喜明、木戸修、前田日明ら錚々たるメンバーが、派閥や軍団の垣根を越えて勢ぞろいし、最愛の家族もリングに上がって見守るなか、「この四角いリングのなかに、私の人生がありました。青春がありました。ありがとう、プロレス! さようなら、プロレス!」と叫び、アニマル浜口はリングから一旦去った。

 引退から3ヵ月後の11月1日、アニマル浜口は東京・浅草に、「アニマル浜口トレーニングジム」を開設する。さらに、ジム内に浜口道場を設け、オリンピック3大会連続出場・銅メダル2個獲得の長女・京子をはじめ、プロレスラーや総合格闘家になることを夢見る若者を育成。小島聡(新日本プロレス)、大谷晋二郎(ZERO1)、大森隆男(全日本プロレス)、本間朋晃(新日本プロレス)ら50名以上の選手をプロレス界・格闘技界に送り出している。

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