【ボクシング】ライト級・坂本博之が語る「減量時の過酷な食事」 (3ページ目)

  • 水野光博●文 text by Mizuno Mitsuhiro  是枝右恭●撮影 photo by Koreeda Ukyo

 減量が壮絶だった理由のひとつは、坂本がライト級にこだわりを持っていたからだった。20代中盤を過ぎ、2度目の世界挑戦に失敗したころ、トレーナーや会長から何度も、「階級を上げれば世界を獲れるぞ」と階級の変更を打診される。しかし、坂本は首を縦に振らなかった。

「当時、東洋圏のボクサーでライト級の世界チャンピオンになったのは、ガッツ石松さんだけだった。僕は、ふたり目になりたかった。それに新人王、日本チャンピオン、東洋太平洋チャンピオン、どれもライト級で獲ったんです。だから、ライト級で世界チャンピオンになりたかった」

 そして、過酷な減量に耐えられた理由をこう告白する。

「減量がどんなにつらくても、それは試合をするまでの期間。その日が来たら、食べられる。期限を切られると、人間ってできちゃうもんなんです。反対に、いつ食べられるか、いつ飲めるかわからない、先が見えない日々のほうが苦しい。だから、あのころと比べれば、どんな減量も楽だった」

 あのころ――。坂本は、福岡県の田川市、旧産炭地で知られる地で生まれた。幼少期、家庭の事情から弟とふたり、親類宅で生活することに。そこで兄弟は、凄絶な虐待を受けた。食事は与えられず、平日は学校給食の一食でやり過ごす。土日は近所の川でザリガニやタニシ、ライギョを捕まえて飢えをしのいだ。

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