2013.11.06

武藤敬司×蝶野正洋「闘魂三銃士の25年」を語る

  • 長谷川博一●文 text by Hasegawa Hirokazu 平工幸雄●写真  photo by Hiraku Yukio

 ドーム興行を行なえば5万人の大観衆を動員し、関連グッズも大ヒット。1990年代のプロレス界は過去最高のブームに沸いていた。その立役者が当時、新日本プロレスの"闘魂三銃士"(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)だった。今年は三銃士の結成から25周年。残念ながら橋本真也はもうこの世にいないが(2005年急逝)、久しぶりに武藤と蝶野のふたりが顔を会わせた。ふたり合わせてジャスト100歳! かつて同じ釜の飯を食った日本マット界のリビング・レジェンドが、あの頃とこれからを語り合う。

武藤敬司(左)と蝶野正洋(右)が「闘魂三銃士」について語りあった「俺らは猪木さんの『闘魂』を背負う気はなかった」

――プロレス人気が爆発していた90年代、闘魂三銃士の皆さんもきっと景気がよかったのでしょうね。

蝶野 ただ、プロ野球選手みたいに年棒が急に倍になるなんてないしね。テレビ放送も深夜枠だし、俺らはまだまだメジャーな存在を目指してる最中だったよ。

武藤 ただ、知り合う人達は確かにバブルで浮かれてる感じはあったな。グッズの話でいえばさ、選手のTシャツなんて最低ロットが3千枚とかだったよね。

蝶野 今は50枚からという時もあるからね。90年代後半に俺らが加入してたユニット「nWo」なんてTシャツが30万~40万枚も売れたんだよ。

武藤 え、そんなに!? でもnWoって向こう(アメリカ)のパテント(特許権)だから俺らに印税は入らない。代わりに会社に焼き肉奢ってもらっただけ!(笑)

――闘魂三銃士というネーミングが、おふたりは当初あまり好きではなかったとか?

蝶野 だって俺らは猪木さんの「闘魂」を背負う気はなかったし(笑)。でも、ブッチャー(橋本選手の愛称)はこだわってたよね。子供の頃からのアイドルの猪木さんから、闘魂を継承して超えようとしていた。

武藤 でも、ブッチャーは猪木さんのいい所だけじゃなくて問題点もマネちゃったよな。人前で羽振り良さそうに振る舞うとかさ(笑)。

蝶野 困らされた事が山程あるよ。若手選手は会社から薬代とかをもらうじゃない。普通はテーピングとかを買うんだけど、ブッチャーは自分の食い物とかを買っちゃうしさ。ニューヨークにいて猪木さんのゴールドカードを預かってた時は、「蝶野ちゃんもスーツ作りなよ」なんて平気で言うし。自分の分はもう作ってあるんだ。ハラハラしたもんだよ......。

武藤 アイツさ、悪い事する時は自分だけじゃなく道連れを求めるからね(笑)。まあ、でもこうして俺らが今も名前が知られているのは、三銃士の時代が終わっても何やかやマット界で活動してきたからだよ。例えば北尾光司とか小川直也とか鳴り物入りの新人もいたけど、彼らは「点」であってなかなか「線」にはならなかった。俺らは会社にとっては安パイというか、ずっと継続してきたからね。20代~60代まで知ってる人は知ってるじゃない。今、新日本で人気のオカダ・カズチカは、そこまで広い世代に知れわたってないんじゃない? まだ俺らの方が知名度は高いと思うな。