【男子バレー】世界バレーで何が起きていたのか? 石川祐希が明かした「新チームの難しさ」 (3ページ目)
【石川祐希が明かす新チームの難しさ】
日本代表は2年連続でネーションズリーグのメダルを獲得、パリ五輪ではメダル候補として注目を集めた。準々決勝でイタリアに敗れはしたが、世界の強豪と十分に渡り合う姿を見せながらの劇的な結末だったこともあり、新たな日本代表も、本来は土台を築く1年目であっても高い期待が寄せられた。その分、「表彰台」とは程遠い予選ラウンド敗退という結末に、選手の落胆も大きく、周囲の評価も厳しい。
そもそも東京五輪から続いた挑戦の集大成であり、完成形とも言うべきパリ五輪の日本代表を引き合いにすること自体が違う話なのだが、結果を求められる世界であることは変わらない。
メンバーが変わり、経験の少ない選手が加わることで生じた、日本が武器としてきた細かなプレーの精度の違い。セリエAのトップクラブであるペルージャに在籍する石川がチャンピオンズリーグを制する長いシーズンを過ごしただけでなく、SVリーグの初年度で日本国内も試合数が増え、各クラブの主軸として戦ってきた選手の疲労を考慮し、当初から合流が遅れるなかでのスタートであったこと。
世界選手権で歯車がかみ合わなかった要因はいくつもあるものの、シーズン当初から「この1年はティリさん(ロラン・ティリ監督)の求めるバレーや、ティリさんの方針を探る時でもある」と言い続けてきた石川は、変化の年ゆえの難しさを明かす。
「ティリさんは練習でもメンバーを固定せず、いろいろな選手をグルグル回しながらやっていくので、起用に対しても自分が出るのか、控えなのか、迷いもある。監督が代われば当然のことですが、戦術に対してかなり細かかった(フィリップ・)ブラン前監督に対して、ティリさんはエナジーを大切にする。それもチームにとって大切なことですが、並行して、うまくいかない時に立ち返る技術や戦術も必要なんだな、と改めて感じられる大会になりました」
勝って得られることも多いが、負けて学ぶこともあり、それこそがこれからにつながる財産でもある。結果にとらわれ、残念だった、悔しかった、で終わらせるのではなくこの先にどう活かすか。石川はこう続ける。
「結果は結果として受け止める。望んだ結果と大幅に違う結果になったことは変えられませんが、ここから勝つために必要なことを学ぶ、大きな経験になりました。最終的にロス(五輪)へ向けて、そこで結果を出せるような準備をしていきたいです」
フィリピンでバレーボールの世界選手権が開催されるのはこれが初めて。もともとフィリピンリーグの人気もあり、バレー人気が高い国ではあるが、ここ数年開催されてきたネーションズリーグでも、自国の代表チーム以上に日本代表へ声援を送り、ともに喜び、悲しむフィリピンのファンや、日本から駆けつけた多くのファンがいた。
予選敗退が決まった最終戦、現地時間の21時40分開始とかなり深い時間であるにも関わらず、試合が終わった23時をすぎても最後まで大声援や拍手、ニッポンコールが止むことはなかった。
厳しく、悔しい結果となったのは事実だ。だが、ニッポンバレーを愛する人たちの応援を受けて戦った日々は確かに残る。
ここから、前へ――。
いつかこの苦い経験を、温かな拍手や応援とともに「あの大会があってよかった」と振り返る日を迎えるために。
フォトギャラリーを見る
3 / 3