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【男子バレー】セッター大宅真樹はチームを勝たせるために我を抑える 髙橋藍にも「本当に好きなボールを要求してほしい」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【最初はセッターをやりたくなかった】

 大宅がセッターを始めたのは、中3のJOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗で、将来のオリンピック選手を発掘する)だという。バレーボール一家に生まれて7歳から始め、ずっとスパイカーだっただけに、最初は「やりたくない。楽しくない」が先行したという。

「身長を考えると、上に行くなら......」という周囲の声に従ったが、最初はしっくりこなかった。うまくいかないと、真っ先にセッターがやり玉に挙げられるのも嫌だったという。

「高校の時はきつかったですね。でも、子どもの時に女子バレーをよく見ていたんですが、なぜか(元代表セッターの)竹下(佳江)さんに目が行っていたんですよ。試合のテレビ放送があると家族みんなで見ていたし、地元にVリーグのチームが来た時は、竹下さんの試合を観に行ったし......」

 大宅は優しい声で言う。それも縁だったに違いない。爆ぜるような思いを発散させていたスパイカーは、高校、大学でその思いをぎゅっと押し込め、"セッターになろう"と努めた。

「スパイカー気質だったんで、本当のところは目立ちたい性格だったと思います」

 彼はそう白状し、こう続けた。

「でも、それだとセッターはうまく回らないんですよ。自分を殺してでも、性格を変えないといけない。『自分が』って我が出ちゃうと、スパイカーのことを思えないトスになってしまう。セッターは"下に回って支える"、じゃないですけど、そういう性格であるべき。スパイカーをどう輝かせるのかを考えるのが、一番大事なんです」

 それゆえ、自分のなかに宿したスパイカーの心を抑え込んでいるように見える時があるのかもしれない。

「そうかもしれません」

 大宅はそう答えて笑った。その疼(うず)きも、彼の一部だ。

(後編:大宅真樹が語る日本代表セッターとしての覚悟「自分が関田さんになる必要はない」>>)

【プロフィール】

◆大宅真樹(おおや・まさき)

1995年4月23日、長崎県出身。178cm。セッター。日本製鉄堺ブレイザーズ所属。大村工業高校1年時に春高バレー優勝。U-18、U-21、U-23と世代別代表を経験し、東亜大学からサントリーサンバーズ(現・サントリーサンバーズ大阪)に入団。チームを4度のリーグ優勝に導いた。昨シーズン終了後、日本製鉄堺ブレイザーズへの入団が発表された。

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

【写真】バレーボールネーションズリーグ男子フォトギャラリー

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