女子バレー・デンソー麻野七奈未が振り返る、高校時代の不遇とそこで得たもの「頭も体も成長できた」 (3ページ目)
【試合に出られず"無"だった高校時代】
――振り返れば、高校時代はユニフォームを着てはいるものの、なかなかレギュラーとして活躍するまでには至らなかった、という印象です。
「今思うと、当時の私は"無"でしたね。先輩や同級生、後輩には力のある選手がたくさんいて、『試合に出るのは難しいな』と感じていました。本当はもっと頑張らなければいけなかったんですけど、とりあえずやればいい、そんな考えでした。取り立ててモチベーションもなく、『卒業まで何日』と書きながら、毎日を淡々と過ごしていましたね」
――それは入学前から想定していたものでしたか?
「まったく思い描いていませんでした。試合に出られる、とも思っていませんでしたが、試合に出られない、とも思っていなくて。憧れの高校から声をかけてもらって、そこに進めるからとりあえず頑張ってみるか、程度の気持ちでしたからね。中学の顧問も心配していましたが、『入学してから考えればいい』という具合でした」
――結果的に出場機会が少ないまま、3年間を終えることになりました。
「相当、怒られていましたからね。部活中はもちろん、普段の寮生活でも。ですが、あの頃にあの練習をしていなかったら、おそらく自分は今ここに立っていません。試合に出る機会は少なかったけれど、走り込みで体力はものすごくついたし、精神的にも強くなりました。
怒られることに関しても、結果的に"自分のなかで考える力"が身についたと思います。監督の池条義則先生は答えを出さないんです。その時は、『結局、何に対して怒られているんだ?』と思うことが多かったし、その答え自体もわからずじまい。でも、結局は自分たちで考えること、なんですよね。それが私生活の過ごし方だけでなく、バレーボールにおいても『相手がこうしてくるから、自分たちはこうしよう』といういろんな引き出しにつながりました。頭も体も、高校3年間で成長できました」
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