髙橋藍が振り返るパリ五輪予選でのピンチ 石川祐希が不調も「万全になるまで自分たちが頑張らないと」 (4ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――「切り替える」と言葉すると簡単に聞こえますが、そこまでにさまざまなことがあったと思います。エジプト戦の翌日は試合がありませんでしたが、次の試合までのチームの様子について教えていただけますか?

髙橋 (フィリップ・)ブラン監督からも話がありましたが、自分たちでもミーティングをしました。そのなかで選手一人ひとりが「どうしていきたいか」を話していったんです。そうしたらほとんどの選手が、「ここであれこれ考えてもしょうがない。切り替えていこう」と口にしていました。

 文章にすると、やっぱり簡単に感じてしまうかもしれませんけど、その言葉がすべてですね。大会前、周囲からとても期待されていましたが、エジプトに負けたあとの少しの間、「自分たちはその期待に応えられないんだ」という空気になってしまっていたんです。でもそうじゃなくて、先ほども言ったように「それが今の日本の強さ、日本の力なんだ」と、初心に戻ってイチからやろうと切り替えたんです。

――正セッターの関田選手も、ものすごく重圧があったと思います。石川選手の攻撃がいつものように通らない時の選択肢のひとつであり、攻撃の起点として重要なサーブレシーブが得意な髙橋選手ですが、関田選手と話をすることはありましたか?

髙橋 フィンランド戦やエジプト戦での苦戦もあって、ブラン監督やアナリストから関田選手に対して、すごくいろいろなデータや指示が出ていました。関田選手は責任感がものすごく強いので、おそらく「苦戦や負けは自分のせいだ」と思っていた部分もあるんじゃないかと思います。そんななかで自分にできることは、きちんとパスを返して、上がったトスを決めきることでした。

 僕がシーズンごとにレベルアップしていることは、関田選手にも理解してもらっていたはずです。W杯でも要所要所で得点を決めていけたことで、「マジで信頼してる」といった言葉もかけてもらえました。苦しい状況でトスを上げられる選手の選択肢が増えたことは、関田選手の負担軽減につながったんじゃないかと思います。

 それが影響したかはわかりませんが、関田選手はエジプト戦後に一段とギアを上げたんです。そうしてパリ五輪の出場権を獲得できたわけですから、あらためて関田選手のすごさ、強さを感じました。

(後編:なぜSVリーグ参戦を決めたのか 「一番成長できる環境」と兄・塁の存在について語った>>)

【プロフィール】
髙橋藍(たかはし・らん)

2001年9月2日、京都府生まれ。兄の髙橋塁の影響で小学校2年生よりバレーボールをはじめる。東山高校3年生時にはエースとして国体、春の高校バレーで優勝し、2020に日本代表初選出。2021年の東京五輪では全試合にスタメン出場し、男子バレー29年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献した。日本体育大学に在学しながらイタリア・セリエAのパッラヴォーロ・パドヴァで2シーズンプレーし、2023-24はヴェロ・バレー・モンツァで活躍。チームをプレーオフ決勝まで導いた。シーズン終了後、兄が所属するサントリーサンバーズ大阪への移籍、SVリーグへの参戦を発表した。

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プロフィール

  • 中西美雁

    中西美雁 (なかにし・みかり)

    名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)、『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当

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