西田有志、2年ぶりのVリーグを語る。妻の古賀紗理那とは「バレーの話ができるのはすごくいい」
スーパーエース・西田有志
がむしゃらバレーボールLIFE Vol.2(6)
(連載5を読む:男子バレー日本代表の進化。パリ五輪予選に向けて「どのメンバーが出ても結果が出せる」>>)
昨シーズン、イタリア・セリエAのビーボ・バレンティアでプレーした西田有志は、古巣のジェイテクトSTINGSに戻ってプレーしている。
2年ぶりのVリーグで柳田将洋(右)らとプレーする西田この記事に関連する写真を見る ジェイテクトは西田の復帰のほか、柳田将洋や関田誠大、スロベニア代表のティネ・ウルナウトなど大型補強があり、優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、前半戦では西田がベンチアウトとなることが続き、チームも低迷。その後、西田のベンチアウトはドクターストップだったことが判明したが、その症状について次のように説明した。
「最初は、熱が出てすぐ熱が下がる、の繰り返しでした。朝に目が覚めたら、ベッドのシーツがビショビショになるくらい汗をかいていたこともありましたね。『無理をすれば、なんとかプレーはできる』という感じがずっと続いていました。検査では体に問題はなかったんですが、原因がわからずにどうすることもできなくて......。"生業"であるバレーボールができないことに対して危機感もありましたし、焦ることもありました」
年末には復帰を果たし、天皇杯ではチームの優勝に貢献したが、それまではトレーニングも完全に休んでいた。その間のチームをどう見ていたのか。
「練習はもちろん、試合会場にも行けなかったので、チーム状況はわかりませんでした。ただ、ジェイテクトはプロ選手も多いですし、自覚を持ってプレーしている選手ばかり。結果が出ない中でも、いろいろ考えながらチームのために全力を尽くしていたはずです。それが、(チームとして2度目の)天皇杯の優勝につながったんだと思います。
天皇杯はトーナメントの一発勝負ですけど、僕も合流して、メンバー全員が揃って戦うことができたので『負ける要素はない』と思っていました。やることさえやれれば絶対に負けないと。心配はなく、逆に優勝することで『チームがよりいい方向に進むきっかけになれば』と思っていました」
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