高橋みゆきが語る北京五輪とその後。今の目標は「持たなくていい」【2021年人気記事】 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――日本代表でもチームを引っ張り、2度目のオリンピック出場を果たします。その北京五輪はどんな大会でしたか?

「アテネ五輪は出場するのが目標でしたが、『それじゃダメだ』とチーム全体が理解して臨んだ大会でしたね。最終予選(OQT)はやっぱり大きなプレッシャーがありましたが、アテネ五輪の時よりは落ち着いていて、『オリンピックでどう戦おうか』ということをチームで考えることができていました。

 私個人としても、アテネでは何をしているかもわからない状態だったのが、北京五輪ではしっかり地に足をつけたプレーができたかな、と思います。4年間やってきたことが、少し報われたんじゃないかと。最終順位は2大会連続で5位。メダルを取れなかったことに悔いは残りましたが、充実感はアテネ五輪とまったく違いました」

北京五輪で、高橋(中央)は日本代表の中心選手としてチームをけん引した  Photo by FIVB北京五輪で、高橋(中央)は日本代表の中心選手としてチームをけん引した  Photo by FIVBこの記事に関連する写真を見る――北京五輪後、高橋さんはいったん引退しましたが、どんな考えがあったんですか?

「北京五輪のあとは、もう目標がなかったんです。本当は大会が終わった時点でやめたかったんですけど、ひとまず休むという形にしました。『このまま引退かな』とも思いましたが、オリンピック後はちゃんとバレーボールと向き合っていなかったので、『ちゃんとやりきって、やめました』と言えるように、約2年半後に復帰しました」

――2011年の11月にトヨタ車体クインシーズに入団しましたが、久しぶりの現役復帰で不安はありませんでしたか?

「復帰に向けて、自分で考えてトレーニングをすること、トレーナーさんにメニューを考えてもらうことなども楽しかったです。オリンピックを目指していた時とは違い、自分のためだけにやっていた。初めてバレーボールをした時の感覚を思い出しました。

 そうして復帰した時が、キャリアの中でいちばん調子がよかったかもしれません。しっかりバレーボールに向き合えた実感もあったので、1シーズンだけで今度こそちゃんと引退しました。あと1年くらいはやれたかなと思いますけど、若手の選手たちに技術を教えることもできたので悔いはないです」

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