「簡単に返事をしてはいけない」栗原恵が移籍のオファーに迷った訳 (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari 木村正史●撮影 photo by Kimura Masashi

――入団に向けた交渉のなかで、吉原監督からはオファーの理由も聞いたかと思うのですが。

「トモさんは『まだまだできると思う』とはっきり言ってくれました。『自分がどうしたいのかが一番だけど、バレーボールを辞めようとしたときにそう思われる選手は限られている。それは"使命"で、私も感じてきたことだけど、メグもそういう選手なんじゃないかと思う』という言葉は嬉しかったですね。『もういらない』と言われても仕方ない年齢になったからこそすごく心に響く、深くて重い言葉をもらいました」

――2004年11月、NECレッドロケッツからパイオニアレッドウィングスに移籍したことで吉原さんとチームメイトになりましたね。吉原さんは2006年に現役を引退しますが、その後もやりとりはあったんですか?

「自分が全日本で試合を行なうときも、解説に来られてるときはよく声をかけていただきました。落ち込んでいるときは励ましてくれたり、『私はこう思う』『こうやったらいいんじゃない?』とアドバイスをくれたりもしましたね。でも、トモさんがJTの監督になってからは、私は別のチームの選手でしたから、以前よりもバレーボールの話をする機会がなくなってしまって......。そんななかで、今回のお話をいただけたのはすごく驚きました」

――JTは栗原選手がプロ選手としてプレーする6つ目のチーム。2011年9月から半年間は、ロシアのチームでもプレーしました。日本人初のプロバレーボール選手になった吉原監督も、日本や海外のさまざまなチームでプレーしていますが、「プロ選手として、求められるチームでプレーする」というところにシンパシーを感じますか?

「さきほども言ったように、トモさんは偉大すぎて、"同じ"という感覚ではないですけどね。『いろんなところを渡り歩いていてすごいな』と思っていたトモさんの背中をいつの間にか追いかけていて、いろんなチームで経験を積むことができたのかなと思います」

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