木村沙織が6人全員を振り返る「私を育てた女子バレー界の監督たち」 (3ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 坂本清●撮影 photo by Sakamoto Kiyoshi

――そうして実力をつけて高校2年生の時に春高を制し、全日本に選出されるわけですが、当時の監督である、柳本晶一監督にはどんな印象がありますか?

「その時期に代表に入れたのは、柳本さんが目にかけてくれたからだと思うので、それがなかったら今の自分はないと思います」

――バレー人生が変わった?

「そこまで言ってもいいかもしれません。その時にセッターやレフト、ライトにも入ることができて、いろんな経験をさせてもらっているうちに、『どうやったら監督の求めている選手像になれるのか』『どうやったら試合に出れるのか』を考えるようになりました。監督が求めているプレーでアピールしていこうと。

柳本さんにはいろんな場面でチャンスをもらいました。サーブだけ、サーブレシーブだけでも出場機会をもらうことができて、そこからだんだん試合に出られるようになったので、本当に感謝しています」

――そして、2003年のワールドカップと、2004年のアテネオリンピック最終予選で活躍し、「スーパー女子高生」として大ブレイクすることになります。

「その時は自分でもビックリしました。『え?』っていう感じで(笑)。高校3年生になってからは腰のヘルニアもあって思ったようなプレーができませんでしたが、それでも東レアローズに入ることができて、菅野(幸一郎)監督に出会うことができたのも大きかったです」

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