【男子バレー】全日本監督交代の舞台裏。新監督は未来を切り開けるか (2ページ目)
この事態を受けて、早くも9月15日には強化担当者が集まり、強化方針を検討。ゲーリー前監督率いる全日本の活動を全て見直し、構想やデータをすべて確認し、分析もして10月24日にはレポートにまとめたという。そしてグラチャン(史上初の全敗であった)後の12月、男子強化委員会を開催し、自薦・他薦の5名の候補によるプレゼンの結果、選ばれたのが南部氏だった。
解任の理由は「アメリカのバレーは心身共に自立したトップアスリートのためのもの。それは日本の選手には時期尚早だと判断した」(荒木田強化事業本部長)、「コミュニケーションの問題」(羽牟裕一郎会長)などとされた。
ゲーリー前監督の指揮した試合の結果から見れば、解任は決して不当なものとは言えない。他競技では、あるいはバレーボールでも海外リーグなどでは、成績不振のためにシーズン途中で監督が解任されることは普通にあることだ。ただ、ゲーリー前監督の場合、選考が遅れて就任も遅くなり、全日本登録メンバーを自分で選ぶことができなかったという事情がある。また、従来日本で常識とされてきた手法を一から変えていったために、すぐに勝利に結びつけることができなかった。このことをどう考えるべきなのか。
選手選考について桑田美仁GMは、「登録候補を選んだのは我々ですが、その分多めに登録しました」という。グラチャン終了直後にゲーリー前監督に確認したところ、「その登録選手から実際の12名を選んだのは自分」とのことだった。「来年呼びたい選手はもういろいろ考えている。若手を増やしたい。大学の試合も見に行ったし、Vリーグや春高も見に行くつもりだ」と語っていたが、実際にグラチャンが終わった後は、Vリーグ、春高などに積極的に足を運び、来年度の候補選びに余念がなかったようである。
グラチャン終了直後に緊急で行なわれた記者会見で、桑田GMは「ゲーリー監督でリオまでという基本路線は変わりません」と述べたが、その時点で既に解任の動きは水面下で進んでいたわけだ。
ゲーリー前監督は監督経験がほとんどなく、ベンチワークにはもどかしいものを感じることが多かった。ただ、北京金メダルのアメリカ代表で長くスタッフを務めていた人物で、現在のグローバルスタンダードの戦術・トレーニング方法を知っていたことも事実である。選手たちは戸惑いつつも必死でそれを習得しようと努力している最中だった。
2 / 3