土居美咲が深い傷を負った20歳の冬 日本テニス界から見放され、海外に生きる道を求めた (3ページ目)
かくして17歳でプロとなった土居は、19歳の時に全仏オープンで予選を突破し、グランドスラム本戦に初出場。この年の11月には、全日本選手権も制した。
翌2011年にはウインブルドンで、予選から本戦3回戦へと勝ち上がる。同年には国別対抗戦フェドカップの代表メンバーにも選出され、日本に勝利をもたらした。テニス協会からの支援も全面的に受け、用意されたエリート街道を歩み始める。
あの時までは......。
「報告ですが、フェドのメンバーから外れる事になりました。」
2012年、1月末──。土居は自らのブログに、そう書き込んだ。
この直前の全豪オープン予選で、土居は初戦で競りながらも敗戦。それから日を置かず、しかもすでにメンバー発表もしていたなかでの本人発信だっただけに、舞台裏については様々な憶測を呼びもした。
その原因や理由には、双方の道理と言い分があり、真相は藪の中の側面もある。小さな理解のすれ違いや感情のボタンの掛け違いが、気づけば大きな亀裂となっていた......というのが、実際のところだろう。
ただひとつ、現然たる事実として残ったのは、土居の名がこの時の日本代表メンバーから消えたこと。そして、当時20歳の将来を嘱望されていた若手が心に負った、日本テニス界から見放され、すべての人に背を向けられたかのような、深い傷だった。
「もう、日本のコーチについてもらうことはできない。日本には居場所がない」
そのような土居の認識が、果たして事実だったかはわからない。ただ、テニスに一途に打ち込んできた20歳のアスリートが、そう思い詰めたのは不思議ではない。
だから彼女は、海外に指導者と自分の生きる道を求める。
同年の3月から、オーストラリアのサイモン・ウィルシュに師事し始めた。2013年には、当時中国のテニススクールで一般会員にテニスを教えていた尾崎文哉をツアーコーチにつける。そして2015年からは、ツアーコーチの経験豊富なクリス・ザハルカを雇った。
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