【母の日プレゼンツ】大坂なおみが子どもに戻れる瞬間。「母はいつだって私を笑わせてくれる」 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by AFLO

娘の心をほぐした母からの電話

 それから4年後----。彼女は、幼少期からの「USオープンの決勝で、憧れのセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り優勝する」という夢を、自らの手で実現する。

 勝利を決めたなおみが駆け寄るファミリーボックスには、子どもの頃は「試合を見に来られなかった」母の姿があった。母親は左手で目頭を押さえて涙をぬぐい、右手でなおみの肩を抱く。抱擁の中で小さな子どものように泣きじゃくるなおみの頬を、母は左手で優しくなでた。

 そのニューヨークでの初戴冠から、2年半が経った。大坂のグランドスラムコレクションは4つに増えたが、初優勝のトロフィーは母親の手によって、鍵のかかったケースに大事にしまわれているという。

「だから、そこにトロフィーがあるなんて誰も気づかないの」と娘は苦笑いをこぼすが、鍵のかかったケースに込められた母の想いを、なおみは誰よりも知っているだろう。

 コロナ禍のなかで再開されたツアーでは、母親が試合会場に来ることは再び困難になった。

 それでも、なおみの心をほぐしてくれるのは、母なのは間違いないだろう。今年2月の全豪オープンでも準決勝での勝利後に母親と電話し、その内容の一部を次のように会見で明かした。

「お母さんったら、おかしいのよ。試合後に電話するといつも、『もっとボールを相手のコートに入れなさい』って言うの。お母さんにとって、ボールのスピードとかそんなことは関係ないみたい」

 母との会話を思い出したか、彼女の口角から自然と笑みがこぼれ落ちる。きっと母親と話している時、彼女は『世界最高のテニスプレーヤー』でも『新世代のオピニオンリーダー』でもなく、公営コートでボールを追っていた、子どもの頃に戻れるのだろう。

「お母さんは、いつだって私を笑わせてくれるの」

 そう言い目じりを下げる笑顔は、欧米風に呼ぶ「ナオーミ」ではなく、日本でも馴染みやすいし呼びやすい、「なおみちゃん」そのものだった。

(2021年5月9日『web Sportiva』コラム再掲載)

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る