日本テニス界「究極の命題」改善へ。昔気質な男、添田豪が自ら動いた (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki
  • photo by Getty Images

 彼がプロに転向した15年前は、松岡修造がグランドスラムで活躍した時代もすでに遠く、トップ100に日本男子選手のいない状況が長く続いていた。海外に練習環境を求めるという考え方が、今のように一般化していない時分でもある。

 プロ転向後も添田は、4歳から通っていたテニススクールを拠点としつつ、大学などさまざまなコートを渡り歩き、練習を重ねてきた。その当時に積んだ苦労は、必ずしも無駄ではなかったと添田は言う。自分で考え、工夫する力を養うことができたからだ。

 だが、日本のトップに至り、誰からも追われる立場になった時、国内では強い相手と練習できないもどかしさや、高いレベルでトレーニングできない歯がゆさとも直面する。

「24歳くらいまでは、やっぱり悩みましたよ。日本で一番になって、これからどうやって強くなるのかなと思った時に、もちろん自分で追い込むというのもあるけれど、自然と強くなるには環境が必要だなと思いました」

 その環境を求めて、イタリアやアメリカに短期的に滞在もした。だが、海外に完全に拠点を移すには、やはり言語や文化面も含めたストレスも多い。味の素ナショナルトレーニグセンター(NTC)が東京にできたのは、まさに、それらの葛藤を抱えていた折であった。

 NTCでトレーニングに打ち込む添田の姿は、多くの日本人選手たちの目に触れ、彼が20代後半にして次々と自己ベストを更新する報は、男女問わず「国内組」に高い目的意識を与えていく。

「添田さんが努力する姿は、いつも見ていた。その添田さんが世界のトップ50になったのは、刺激になる」

 彼がキャリアハイに達し、ロンドンオリンピック代表にもなった2012年には、とくにそのような言葉を多くの若手選手から聞いた。

 同時にこのころには、添田の口からも「若い選手にいろいろと伝えていければ」という思いが発せられるようになる。

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