もうひとつの全米OP物語。「華の94年組」小和瀬望帆はNYにいた (2ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

 元アスリートとは思えぬほどにほっそりとした首をかしげ、彼女は当時を追想する。サーブの不調はやがてフォアハンドも狂わせ、高校3年生を迎えたころには、プロ転向に迷いを抱くまでになっていた。

「このままではトッププロになるのは無理だし、精神的にも保たないだろう......」

 そう悩む彼女に手を差し伸べたのは、アメリカの大学に「スポーツ特待生」として進学していた、3歳年長の姉である。

「アメリカの大学はすばらしいから、一度見に来なよ!」

 熱心に誘ってくれる姉、そして姉の留学を手助けしてくれた関係者たちの伝手(つて)を頼り、妹もやがて進学のために海を渡る。同期の多くはすでにプロの道を歩み始めた、18歳の夏だった。

 小和瀬が進学先に選んだオハイオ州立大学は、スポーツ全般に力を入れていることで知られている。もちろんテニスも例外ではなく、小和瀬以外にも、南米など国外からの選手も集っていた。

 サーブとフォアの不調は、大学進学後も消えなかった。ただ、それまでは個人競技だったテニスが、大学では団体競技になる。すると、抱える技術的な悩みも、もはや自分ひとりのものではなくなった。

「チーム戦だと、自分のフォアが......とは言っていられない。サーブを打たないわけにもいかないので、下から打ったり、フォアもスライスだったり......開き直ってプレーしました」

 その「開き直り」が重圧を取り払ったか、大学3年生になるころには、サーブも徐々にかつての感覚を取り戻す。時を同じくして、プロになった同期たちがグランドスラムなどで活躍する報も耳に入った。友人たちがマリア・シャラポワ(ロシア)らと戦う姿を見ると、心のどこかが嫌でもざわつく。

「私はこれでよかったのかな?」

 そんな疑問が、自分の胸にふと落ちた。

「このまま開き直ってやっていけば、私もプロでやれるのでは?」

 夢への想いも、ふたたび首をもたげ始める。

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