誰よりも世界を知る伊達公子が「日本テニス界に伝えておきたいこと」 (2ページ目)

  • 神 仁司●文・写真 text & photo by Ko Hitoshi

 伊達は使用しているテニスラケットのメーカーであるヨネックスが主催した「ヨネックステニスフェスティバル」(11月5日、岐阜メモリアルセンター内 長良川テニスプラザ)に参加するため岐阜を再訪した。岐阜は、伊達にとってゆかりのある土地で、2008年に37歳で現役再チャレンジを決断した時、初戦となったのがITF岐阜大会であった。予選から勝ち上がった伊達は快進撃を続け、「(岐阜で)シングルス準優勝とダブルス優勝と、いいスタートがあったからこそ、(第2次キャリアの)9年半があったのではないかと思います」と振り返るほどだ。さらに2012年大会では、シングルスで優勝も成し遂げている。

「本当に思い出深い場所です」と伊達がしみじみ語る岐阜には、選手として残した結果以外にも、彼女の足跡がしっかり残されている。

 当時から伊達は現役再チャレンジの目的として、若手日本選手の刺激になりたいということだけではなく、国内テニスコートのサーフェス問題の改善も提言していた。それはチャレンジ1年目こそ、国内を主戦場にしていたが、2年目からはWTAツアーやグランドスラムにも挑戦し、世界の最前線で戦う彼女が敏感に感じ取っていた日本テニス界への危機感でもあった。

 日本で数多く開催されているツアー下部のITF大会では、オムニ(砂入り人工芝)コートの使用が認められているが、女子ワールドテニスWTAツアーでは、オムニは公式サーフェスとして認定されていない(男子ATPツアーでも同様)。

 日本のジュニアや若いプロ選手が、国内から海外遠征に挑戦する時に直面するのがコートサーフェスの違いによるテニスボールの飛び方で、オムニからハードやクレー(土)への変化に適応しきれずに勝てない日本選手も多い。2017年の現状も大きくは変わっておらず、日本国内での育成や強化の面で依然として問題になっている。

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