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ラグビー日本代表に戦後最年少19歳3カ月で抜擢 増保輝則の「11番」は早稲田でも神戸製鋼でも目立っていた (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【WTBの仕事はトライだけじゃない】

 神戸製鋼はV7達成後、なかなかタイトルに届かない苦しい時期が続いた。しかし1999年、増保がキャプテンに就くとチームは上昇気流に乗り、見事な復活Vを成し遂げる。1999年度・2000年度に全国社会人大会と日本選手権を制し、再び深紅のジャージーを頂点に導いた。

 ベテランとなった増保は、自身のプレースタイルやチームの勝利について、高い視座で語ってくれたことがある。

「一般的に言えば、WTBはトライを取るポジションですが、僕はスピードじゃなくて、幅広い仕事をしてチームに貢献するのもあり方のひとつだと思っています。

 自分でトライを取ろうというよりも、キャプテンとしてゲームをコントロールして、どのようにチーム力を出して勝たせるかに主眼を置いています。(トライを取るのは14番の)大畑大介がやってくれるので」

 トップリーグ元年となった2003-04シーズン、増保はプレーイングコーチという立場となって初代チャンピオン獲得に貢献したのち現役を引退。平尾ゼネラルマネージャーの下で2004年、神戸製鋼の監督に就任した。

 その後は建設・土木関連の会社を経営するかたわら、母校の早稲田大や女子ラグビーの指導で活躍。2019年のラグビーワールドカップ日本大会が開催された際は、アンバサダーに就任して成功のための広報活動に尽力した。

 ハッキリとした顔立ちは、昔も今も変わらず。増保はどのジャージーを着ていても記憶に残る「11番」だった。

著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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