ラグビー日本代表「ゴールデンブーツ」廣瀬佳司のキックの極意「蹴るのではなく、股関節でボールを運ぶ」 (3ページ目)
【草ラグビー場で最後のプレースキック】
廣瀬は幼少期にラグビーを始めてから、ほとんどSOしかやってこなかった。しかも、高校時代はなんと、「実はキックは下手だった」と吐露する。当時はキックの距離がまったく伸びず、すぐにボールがお辞儀して地面に落ちてしまっていたという。
「キックがもっとうまくなれば、もっと違うステージにいけるかもしれない」
そう考えた廣瀬は、朝の練習前に1時間、夕方の練習後も1時間、ひたすらキックを蹴り続けた。その努力は京都産業大に進学しても続いた。「ゴールデンブーツ」は決して一朝一夕で誕生したのではない。
京産大でも1年時からレギュラーに抜擢された廣瀬は、2年時と3年時には大学選手権ベスト4に貢献。その活躍が評価されて、大学3年時に晴れて日本代表の初キャップを獲得した。
キックへの飽くなき探究心は、大学卒業後に入ったトヨタ自動車でも留まることはない。
入社2年目にニュージーランドへラグビー留学した時、第1回ワールドカップの優勝に貢献したオールブラックスSOグラント・フォックスにキック指導を仰ぎ、マンツーマンで教えてもらった。
「ボールを蹴るのではなく、体全体を使って、股関節でボールを運ぶ」
フォックスからキックのヒントを得たことで、プレースキックの精度はさらに上がったという。
その結果、廣瀬はトップリーグで2シーズン連続して得点王に輝いた。特に2005-06シーズンは72本(50G/22PG)のプレースキックを決めて、成功率は90%を超えた。
2008年、惜しまれつつも引退を決意。トヨタ自動車で監督を務めたあと、2019年ワールドカップでは組織委員会で働いた。現在は母校・京産大で監督を務め、後進の指導にあたっている。
引退試合は2008年7月。神奈川県藤沢市の草ラグビー場で、旧知のラグビー仲間が舞台を用意してくれた。現役時代と同じように、廣瀬は砂で山を作って、最後のプレースキックを蹴った。
「一生の思い出になりました」
廣瀬は満面の笑顔を見せて、ゴールデンブーツを脱いだ。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
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