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大西将太郎は打倒・関東を貫いた「花園の申し子」 ワールドカップ連敗記録を止めた同点キックは語り草 (3ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【花園のピッチがよく似合う】

 大学卒業後も、大西の進路は一貫していた。「関東」の強豪クラブは選ばず、常に「関西」に軸足を置いた。

 2001年からワールドファイティングブル(現・六甲ファイティングブル)でプレーし、2006年にはヤマハ発動機(現・静岡ブルーレヴズ)に移籍。2009年からは地元・花園がホームの近鉄ライナーズに加入した。さらに2013年、大西は「花園で引退するか悩んだ」結果、現役続行を決めて豊田自動織機シャトルズへ。常に関西ラグビー協会所属のチームでプレーし続けた。

 大西のラストダンスは2016年1月23日。関東の強豪サントリーと戦う舞台は、やはり花園だった。

「自分が生まれ育った花園。始まりも、終わりも、花園です。最後の舞台でも、いつもどおりいっぱいタックルして、いっぱい起き上がって、全力で試合に臨みたい」

 大西は最後まで、ファンの心を打つプレーを続けた。

 後半途中から出場し、タックルを繰り返し、コンバージョンゴールも決めた。大西の一挙手一投足を見守るファンの誰もが「時間よ、このまま止まれ」と思った。

 そして、ノーサイド。大西を胴上げするために、敵も味方もなく皆がピッチに集まった。目を赤くして笑う大西の姿を見て、「やはり花園のピッチがよく似合う」と思ったファンも多かったに違いない。

 現在、大西はラグビー解説者・指導者として多方面で活躍中だ。現役引退後、大西に「ラグビー人生で一番印象に残っているシーンは?」と聞いたことがある。カナダ戦のコンバージョンキックと答えるかと思った。だが、そうではなかった。

 大西が挙げたのは、カナダ戦と同じ2007年ワールドカップの第2戦フィジー戦。LOルーク・トンプソン(当時)がトライを決めたあとのシーンだという。

「試合前に誰も、何も言っていないのに、トライ後に全員が自然と(トンプソンのもとに)集まった。あれが本当のラグビーのよさ、醍醐味なんだと思いました。

 今まで何百試合と経験してきましたが、あんなにひとつの塊(かたまり)になって、みんなで喜んでというのは初めての経験だった。一番好きなシーンです」

 最後まで「個人」ではなく「チーム」に重きを置く、大西らしいチョイスだった。

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