ラグビー日本代表HCも「ワセダの10番イイネ!」と賞賛 18歳ルーキーはワールドクラス (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

【人よりキックが飛ぶと思っていた】

 王者・帝京大が負けた要因のひとつに、服部のキックにエリアを奪われたことがあったのは間違いない。帝京大の相馬朋和監督は、「早稲田大のキックがすばらしく、逆に帝京大はいいキックが蹴れなかった。特に前半は蹴り負けたシーンが多かった」と悔しそうに振り返った。

 大学生になったばかりのルーキーシーズンの春、服部は試合に出ることが叶わなかった。3月に参加した高校日本代表のイタリア遠征で左肩を負傷したからだ。服部は4カ月ほどのリハビリ期間を経て、夏合宿から復帰を果たし、対抗戦でようやく大学デビューを果たした。

 開幕戦(立教大戦/57-6/9月14日)は控えながら、試合終盤に出場するとロングキックで会場を沸かせた。その飛距離と音で、いきなり強烈なインパクトを残した。

 2試合目から10番を託された服部は、その後もルーキーと思えない落ちついたプレーを見せた。自陣のインゴールから10mラインまでしっかりとスクリューキックで蹴ることができ、飛距離もワールドクラス。帝京大戦でもそのクオリティは突出していた。

 服部の身長は178cm。SOとしてそこまで大きくない。だが、キックの飛距離は別格だ。「高校2年生くらいから飛ぶようになった。人より飛ぶなと思っていた(笑)」と話す。

 もちろん、服部の魅力はキックだけではない。高校時代からキレのあるランとパスセンスで注目を集め、昨年は高校生セブンズで32得点を奪ってMVPに輝き、佐賀工業を初の高校日本一に導いた。

 ラグビーを始めたきっかけは、3歳年上の兄。関東学院大でプレーするSH服部莞太の影響で、8歳から福岡県北九州市の帆足ラグビースクールで競技を始めた。

 高校も兄と同じく、親元を離れて佐賀工業に進学。1年から「花園」全国高校ラグビー大会に出場し、スクール時代から12年間プレーし続けた盟友・井上達木(筑波大1年・SH/FB)とのコンビで、2年時はベスト8、3年時はベスト4にチームを導いた。

「兄がいなければ佐賀工業に進学しなかったし、早稲田大への道もなかったかもしれない。(兄の存在は)ありがたいですね」

 卒業後に早稲田大を選んだ理由を、こう語る。

「展開ラグビーがしたかったので、早稲田大に行きたいと考えていた。(佐賀工業OBの)大田尾さんや五郎丸(歩/元日本代表FB)さんが早稲田大で活躍していたので、高校でやっていたことは間違いないと自信を持って入学しました」

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る