田中史朗が語る日本ラグビー発展の条件「レフリーのレベルの向上」「リーグワンの地域密着」 (3ページ目)

  • 齋藤龍太郎●文 text by Saito Ryutaro

──また、リーグワンの大半のチームは、前身のトップリーグ時代と同じく企業内のラグビーチームとして活動し続けています。完全なプロチームとは一線を画している状況です。

 サッカーのように、企業がスポンサーとしてサポートしていただければチームも選手も変わってくるのではないでしょうか。付け加えて言うと、個人的にはリーグワンのチーム数が多過ぎるのでは、という思いもあります。いい選手がいろいろなチームに分散してしまっている印象は否めません。ニュージーランドや南アフリカはトップチームの数が少ないからこそ、そのなかで集中的に強化が進み、代表にも同じチームでやってきた選手が集まってチームとしてすぐに結束するので、日本はそこが少しもったいないと感じています。

──最後に、日本のラグビーを思い続けている田中さんはインタビューや記者会見を「これからも日本ラグビーをよろしくお願いします」という一言で必ず締めくくってきました。それは今後も不変ですか?

その思いは変わりません。これからも継続していきたいと思っています。

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 このインタビューから2週間、田中史朗の姿は日本代表が合宿を行なう宮崎の地にあった。自身も代表合宿で汗を流し、極限まで自分を追い込んだ思い出の場所だ。

JAPAN TALENT SQUAD プログラム」の一環として、未来の日本代表として期待されている大学生選手たちに、田中は日本代表としての心得、そしてコミュニケーションの重要性を強く説いた。

「桜のジャージーを着たからには負けることは許されない」

「勝つためにはコミュニケーションが大切。しゃべらないと」

 誰よりもラグビーを愛し、誰よりも日本代表を憂う田中史朗の「熱」は、現役を退いても決して冷めることはない。

Profile
田中史朗(たなか・ふみあき)
1985年13日生まれ、京都府京都市出身。日本代表75キャップ。小4 でラグビーと出合い、中学で本格的に競技を始める。伏見工業(現・京都工学院高校)でスクラムハーフとして成長し、1年時に花園優勝、3年時は花園ベスト4。京都産業大学時代にはニュージーランド留学を経験するなどさらに成長し、2007年に三洋電機(のちのパナソニック。現・埼玉ワイルドナイツ)でトップリーグ(現・リーグワン)デビュー。翌2008年に日本代表初選出。2013年、ニュージーランドのハイランダーズと契約し日本人初のスーパーラグビープレーヤーとなり、3シーズン目の2015年は優勝メンバーに。ラグビーW杯は2011年大会から3大会連続出場。2015年大会で歴史的勝利を収めた南アフリカ戦でプレーヤー・オブ・ザ・マッチに。2019年の日本大会では日本代表初の決勝トーナメント進出に貢献した。リーグワン2023-24シーズン終了をもって現役を引退。

著者プロフィール

  • 齋藤龍太郎

    齋藤龍太郎 ((さいとう・りゅうたろう))

    編集者、ライター、フォトグラファー。1976年、東京都生まれ。明治大学在学中にラグビーの魅力にとりつかれ、卒業後、入社した出版社でラグビーのムック、書籍を手がける。2015年に独立し、編集プロダクション「楕円銀河」を設立。世界各地でラグビーを取材し、さまざまなメディアに寄稿中。著書に『オールブラックス・プライド』(東邦出版)。

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