元ラグビー日本代表・畠山健介「自分の準備不足がチームに悪影響を及ぼしてしまった」2011年W杯 を振り返る (2ページ目)

  • 齋藤龍太郎●文 text by Saito Ryutaro
  • photo by アフロ

──2011年のワールドカップまでの間にも数多くのテストマッチを経験しました。

「全部の試合が印象的でしたが、イタリアとの現地での試合(2011813日。イタリア3124日本)はスクラムでボコボコにされたこともあって、よく覚えています。あとは2009年のパシフィック・ネーションズカップでサモア、トンガ、フィジーと初めて対戦した時の、パシフィックアイランダー特有の破壊力と安定感、そしてフィジーのスピードやアジリティ(敏捷性)は衝撃的でした。特にサモアは『どうやって勝てばいいんだろう?』と思うぐらいバランスがよく、強いチームでした」

──そのような強度の高いテストマッチを経て、2011年に初めてのワールドカップを迎えます。プールAの初戦の相手は、この大会で最終的に準優勝という結果を残す強豪フランスでした。

「チームとしては手応えがあって、前半途中まではいい勝負をしていたのですが、後半は突き放されてしまいました(フランス47-21日本)。対等に戦えたという評価もありましたが、僕個人としては全くもってダメでしたね。当時は日本代表になってワールドカップに出ることが僕の目標だったので、実際に試合に出て活躍すること、勝つことは目標ではなかった。つまり、出た瞬間に僕の目標は達成され、終わってしまっていたんです。実際のところ、準備は全然できていなかったですし、能力的にもまだまだでした。代表に選ばれていい選手だったのかどうかも疑問です」

──次のニュージーランド戦は大差になりました(ニュージーランド83-7日本)。畠山さんは後半19分からの途中出場でした。

「日本代表の目標は『マスト2ウィン』、つまり大会2勝でした。そのためにオールブラックス戦はちょっとメンバーを落として(その後のトンガ戦とカナダ戦に)備えたわけです。それを見たニュージーランドはFL(フランカー)リッチー・マコウ主将が100試合目の予定だったのに彼を下げて、メモリアルな試合にはしなかった。そのような背景を物語っている点差になりました。試合前の入場時に『オールブラックスの選手、あまり大きくないな』と思っていたのですが、いざ試合が始まってみると体幹、芯の強さが段違いでした」

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