奇跡ではなく必然だった。ラグビー日本代表のジャイアントキリング (2ページ目)

  • 松瀬 学●文 text Matsuse Manabu
  • ロイター/アフロ●撮影 photo by Reuters/AFLO

 さて、試合の記憶。次に思い出すのは、ラストシーンである。満員の3万人で埋まったスタンドからは「ジャパン! ジャパン!」の大声援が飛んでいた。そのすべての視線が最後のスクラムに注がれていた。

 ロスタイム。29-32。日本代表は同点となるPG(ペナルティゴール)を捨て、パワーで世界一と言われた南アフリカに真っ向勝負を挑んだ。

「スクラム、組もうぜ!」

 ゴール前でPK(ペナルティーキック)をもらった日本のリーチ・マイケル主将は、スクラムを選択した。日本のラグビーの歴史を変えるためには、同点ではなく、勝利しかないのだ。逆転のトライを狙った。

 記者席の20メートルほど後ろに離れたコーチングボックスにいた日本代表のエディーHCは「ショット!(PK)」と怒鳴っていた。ここは同点PGで十分だと。でも、スクラムを選択。その瞬間、エディーHCは無線機のヘッドホーンをコンクリートにたたきつけ、ぶち壊した。

 桜満開の今年4月。来日していたエディーさんは4年前のシーンを思い出し、冗談口調で「(ヘッドホーンを)弁償しないといけないな」と笑った。

「リーチは良きリーダーだ。責任を果たしてくれた。あの日の朝、リーチと海岸際でコーヒーを飲み、(PKの)判断は任すと話し合っていた。すべてがうまくいった。完ぺきな一日だった」

 スクラム、相手のフォワードはシンビン(10分間の一時的退場)で1人少ない7人だった。敵も必死だ。力と意地がぶつかり、スクラムが崩れる。3、4回、組み直した。最後は、日本側から見たら右側に押し崩されそうになった。でも、ナンバー8のアマナキ・レレイ・マフィがうまくボールを生かした。

 SH(スクラムハーフ)の日和佐篤がまず、FL(フランカー)のリーチを左ブラインドに走らせた。ここからの一連のシーンは、ほとんど記憶している。ラックから右へ、今度はLO(ロック)のブロードハースト・マイケルが突進する。ラックから右、またもリーチ。ラックから右、今度はLOの真壁伸弥。次はバックスに回し、CB(センター)立川理道が走り、ラックから右へ、もうひとつリーチ。右ラインぎりぎりにラックができて、一気に左オープンに回した。立川が長いパスをマフィに放る。マフィは右手でタックラーをはじいて走り、WTB(ウイング)のカーン・ヘスケスへ。

 ヘスケスが左隅に飛び込み、歓喜の輪ができた。よくぞ、誰もボールを落とさなかったと思う。執念。集中。無心。スタンドはもう、絶叫だった。抱き合い、泣いている日本人ファンがたくさんいた。

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