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プロ野球選手からアメフト選手へ転身。元ベイスターズ石川雄洋「憧れのイメージがずっとあった」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 俊足で非常にシャープな振りをした石川に、ある球団のスカウトの目が留まった。そして、そのシーズンのドラフトでベイスターズに6位で指名されたのである。

「うれしかったですね。ただ、その反面、夏の甲子園で打ちましたけど正直、プロで通用するのかなって思いました。僕はけっこう現実を見るタイプなんですよ。プロは厳しい世界ですし、活躍したいと思っていましたけど、どれだけできるかわからない。横浜高校に入る時と同じで、不安のほうが大きかったです」

 ベイスターズに入団し、覚悟はしていたが、やはりプロ野球はすぐに活躍できるほど簡単なところではなかった。4年目のシーズン、ようやくショートのレギュラーを掴むことができた。

「自分の中では4年間を一応目安に考えていました。入団時は毎日試合を戦う体力もないし、走攻守すべて課題があったので、1日1日を無駄にしないように努力してきました。4年を経過すると大卒の選手が即戦力で入ってくるんですけど、同年齢じゃないですか。僕は先にプロを経験しているので、同年齢の大卒には負けたくないというライバル心が強かったですし、4年でダメならという思いもあったのでレギュラーになれたのは大きかったです」

 レギュラーを任された石川はチームの主力選手へと成長していった。そして2012年、横浜がDeNAベイスターズに変更になった最初のシーズン、石川はキャプテンになった。それは当時の中畑清監督に指名されたのではなく、新沼慎二や森本稀哲、渡辺直人ら選手が石川を推して決まったものだった。

「僕はキャプテンタイプじゃないですし、なかにはお前がやるのかよって思った人もいたと思います。それに先輩が多いなか、自分がやってもいいのかっていう思いもありましたので、1週間ぐらい断っていたんです。でも、先輩のみなさんに『チームを強くするためにお前は何かを持っている。お前がしっかりすればお前自身のためになるし、チームのためにもなる』と言われて......。僕はやるからには中途半端にやりたくなかった。自由にやらせてもらえるとのことでしたし、『サポートするから』と先輩に言われて、ようやく決心することができました」

 キャプテンになったがクールな姿勢を貫く石川は、たびたび中畑監督と衝突した。ベンチ前の円陣の際、ベンチに座って出てこない等々、石川の振る舞いに中畑監督が激怒したという報道も流れた。そうした態度が問題視され、2軍に落とされたこともあった。

「確かに中畑さんとは、お互いに熱くなって衝突したこともありました。でも、あそこまでいろいろと話をさせてもらった監督はいなかったです。調子が悪い時、中畑さんの部屋に呼ばれてバッティングの話をしながらスウィングしたのは今でもよい思い出ですし、本音を言い合えたのは中畑さんだけだった。僕は、中畑さんにすごくいい経験をさせてもらったので感謝しています」

 引退する時、中畑監督の自宅に挨拶をしにいった。横浜スタジアムで解説の仕事で会うと気軽に挨拶して、談笑もできている。

「中畑監督は、僕を変えてくれた人ですから」

 石川は、少し照れた表情を浮かべて、そういった。

 2021年3月21日に正式に引退を決めた後、石川は解説者、もしくはコーチ職という引退した選手の王道を歩むのではなく、異例の道を選択した。アメリカンフットボールという新たな舞台で選手としてプレーすることを決めたのである。

 しかし、元プロ野球選手が、なぜアメフトだったのだろうか。

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