日本初のプロ選手・松下浩二が「福原愛の笑顔」に思うこと (7ページ目)

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro
  • photo by JMPA

 決勝の中国戦は、敗れはしたものの、水谷選手がシングルスで許昕(キョ・キン)選手を破り、ダブルスでも1ゲームを奪い、ついに中国の背中に手をかけた一戦だったと思います。この試合で、日本はもちろん、他国も中国に勝つことが絵空事ではないと思ったのではないでしょうか。

 男子はシングルス・団体ともに五輪初のメダル獲得に成功し、女子も団体でロンドンから継続してメダルを獲得。この結果は、日本卓球界にとって非常に大きなことです。東京五輪に向けて、大きな弾みをつけることもできました。総括するならば、リオ五輪は日本卓球史に残る最高の大会だったと言っていいでしょう。

(後編につづく)

【profile】
松下浩二(まつした・こうじ)
1967年8月28日生まれ、愛知県出身。1993年、日本人初のプロ卓球選手となり、全日本選手権シングルス4度優勝。スウェーデン、ドイツ、フランスの欧州3大リーグでプレーし、2009年に現役を引退。オリンピック4度出場(1992年~2004年)。シェークハンドのカット主戦型。現在は卓球用品総合メーカー「ヤマト」の代表取締役社長を務めるかたわら、卓球の発展のためにさまざまな活動をしている。

■卓球・その他球技記事一覧>>

7 / 7

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る