NBA伝説の名選手:ベン・ウォーレス 「史上最高のドラフト外選手」の呼び声高い偉大なるハードワーカー (3ページ目)
【ドラフト外選手として史上初の殿堂入り】
ピストンズは翌年もファイナルまで勝ち進んだが、サンアントニオ・スパーズとのシリーズを3勝4敗で落として、惜しくも2連覇を逃す。オフにブラウンHCがチームを去ると、ウォーレスも2005-06シーズン終了後、シカゴ・ブルズに移籍。その後、クリーブランド・キャバリアーズ、再びピストンズに戻ってプレーし、2012年2月に現役引退を表明した。
レギュラーシーズン通算1088試合でキャリア平均9.6リバウンド、1.3スティ―ル、2.0ブロックを残したウォーレスは、最優秀守備選手賞にNBA歴代最多タイの4度選ばれたほか、オールNBAチームに5度、オールディフェンシブチームに6度名を連ね、4度選出されたオールスターのうち、2003、2004年にはファン投票での選出によりスターター出場も果たした。
鍛え上げられた筋肉の鎧を身にまとい、恵まれた身体能力と豊富な運動量でコートを走り回り、絶大な働きを見せてきたウォーレス。アフロヘアと咆哮が相まっての威圧感もあり、リーグ史に名を残す名ディフェンダーとしての地位を確立した。
球際の強さも光った男は、通算1万482リバウンド、1369スティール、2137ブロックでキャリアを終えた。NBA史上、通算1万リバウンド、1300スティール、2000ブロックをクリアしているのは、わずか4人しかいない。
2021年にドラフト外選手として初の殿堂入りを飾ったウォーレスは、自身のキャリアをこう振り返る。
「ドラフトされようと漏れようと、機会を手に入れたら自分の最大限の力を生かしたいものなんだ。その点、俺は最高の機会を手にし、その過程で成功を収めてきた。自分の能力と才能を最大限に発揮し、毎晩精いっぱいの努力をしてきた。それが報われたのさ」
ラジコンカーの大ファンでもあるウォーレスだが、引退後はうつ病を患い、体重も落ちるなど約2年間苦しんだ。それでも、2016年には背番号3がピストンズの永久欠番となり、ピストンズ傘下のGリーグチーム(グランドラピッズ・ドライブ)の共同オーナー兼球団社長もこなし、2021年10月には古巣ピストンズのフロントに加わった。
手首の関節に問題があり、フリースローをはじめとする得点面の貢献は限られていたとはいえ、ドラフト外からリーグ最高の守護神へと這い上がった。殿堂入りという最高のゴールへ辿り着いたのだから、2000年代を代表する"ユニークなレジェンド"として、これから先もNBA史に名を刻み続けていくに違いない。
【Profile】ベン・ウォーレス(Ben Wallace)/1974年9月10日生まれ、アメリカ・アラバマ州出身。1996年NBAドラフト外。
●NBA所属歴:ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ、1996-97〜1998-99)―オーランド・マジック(1999-2000)―デトロイト・ピストンズ(2000-01〜2005-06)―シカゴ・ブルズ(2006-07〜2007-08途)―クリーブランド・キャバリアーズ(2007-08途〜2008-09)―デトロイト・ピストンズ(2009-10〜2011-12)
●NBA王座1回(2004)/最優秀ディフェンス選手賞4回(2002、03、05、06)/オールディフェンシブ・ファーストチーム5回(2002〜2006)
●主なスタッツリーダー:リバウンド王2回(2002、2003)/ブロックショット王1回(2002)
*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)
著者プロフィール
秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)
フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。
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