NBA伝説の名選手:チャウンシー・ビラップス 苦境を乗り越え、"真の勝者"となった不屈のポイントガード (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【一流選手の地位を築いたピストンズ時代】

 ウルブズで2シーズンをプレーしたあと、2002年夏にFAでデトロイト・ピストンズへ移籍。そこで先発PGの座を掴み、プレーオフチームの司令塔として台頭した。2003-04シーズンに名将ラリー・ブラウンHCが就任したピストンズは、ビラップス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンス、ベン・ウォーレスのコアメンバーにシーズン途中のトレードでラシード・ウォーレス(いずれも元ピストンズほか)を加え、リーグ最高級の守備を構築してプレーオフでイースタン・カンファレンスを制覇。

 そして迎えた2004年NBAファイナル。相手のロサンゼルス・レイカーズにはシャキール・オニール(元レイカーズほか)とコービー・ブライアント(元レイカーズ)の最強デュオにカール・マローン(元ユタ・ジャズほか)、ゲイリー・ペイトン(元シアトル・スーパーソニックスほか)がおり、下馬評ではピストンズが劣勢だった。

 だが、ピストンズは周囲の予想を覆し、鉄壁の守備で相手を平均81.8得点に封殺して4勝1敗で球団史上3度目のNBAチャンピオンに。「最も輝いた瞬間になった」ビラップスがシリーズ平均21.0得点、5.2アシストをマークしてファイナルMVPに選出される活躍を見せた。

 チームは翌2005年もファイナルへ舞い戻り、サンアントニオ・スパーズと最終第7戦までもつれ込む死闘を演じ、第7戦を落としたことで惜しくも2連覇を逃すが、ビラップスは2003年から2008年までピストンズで存在感を見せつけた。2009年にはカーメロとタッグを組んでナゲッツで、個人として7年連続のカンファレンス・ファイナル進出を果たした。

 2011年2月にカーメロらと共にニックスへトレードされたビラップスは、翌シーズンの同年12月にロサンゼルス・クリッパーズへ加入。ベテランとしてリーダーシップを発揮するも、アキレス腱断裂の大ケガに見舞われてコートへなかなか立てず。最後はピストンズへ帰還して2013-14シーズンをプレーして現役を退いた。

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