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松井啓十郎が「グッときた」SLAM DUNKの言葉。「リングしか見えない瞬間って本当にある」

  • 水野光博●取材・文 text by Mizuno Mitsuhiro

Bリーガーが語る『SLAM DUNK』愛
第5回:松井啓十郎(富山グラウジーズ)

 今年1月に映画化が発表され、来年の秋に公開が決まった『SLAM DUNK』。1990年から96年まで週刊少年ジャンプで連載され、今もなお絶大な人気を誇るマンガだ。そんな作品について、バスケットボールと『SLAM DUNK』を愛する男たち、Bリーガーにあらためて語ってもらった。

 第5回は、今シーズン京都ハンナリーズから富山グラウジーズに移籍したKJ松井こと松井啓十郎選手。

学生時代をアメリカで過ごしたからこそ、あの手紙に共感Ⓒ井上雄彦I.T.Planning.Inc学生時代をアメリカで過ごしたからこそ、あの手紙に共感Ⓒ井上雄彦I.T.Planning.Inc――『SLAM DUNK』を最初に読んだのはいつですか?

「全巻しっかり読んだのはかなり遅いんです。アメリカ生活が長かったこともあり、欲しくても手に入らなかったので。2009年にコロンビア大を卒業して日本に帰国して、JBL時代のレバンガ北海道でプロキャリアをスタートした年に初めてじっくり読みました」

――印象に残ったシーンはどこでしたか?

「実体験にある意味で重なったというか、アメリカに留学した谷沢(龍二)が安西(光義)先生に出せなかった手紙の"バスケットの国アメリカの その空気を吸うだけで 僕は高く跳べると思っていたのかなあ"という言葉が印象深かったです。

 僕はNCAAのディビジョンⅠの大学でプレーすることを夢見て、中学2年でアメリカに渡りました。事前にアメリカでキャンプに参加したり、ワークアウトをしていたので、もちろんアメリカのバスケのレベルがどれだけ高いか知っていました。それでも、『絶対に夢を叶えるんだ』と断固たる決意を持って海を渡ったんですが、高校生になっても2軍生活が長く続き、夢を諦めそうになったことがあります。心のどこかで"アメリカに来ればうまくなれると思ってたのかな"と谷沢と同じようなことを考えたりもしましたね」

――その後、松井選手は1軍に昇格し活躍。コロンビア大に進学し日本人初のディビジョンⅠプレーヤーになります。飛躍のきっかけは?

「それこそ桜木(花道)がインターハイ前にチームを離れて、1週間で2万本のジャンプシュートの練習をしたように、僕もひたすらシュートを打ち込んだことが大きかったと思います。どうあがいても僕の身長やスピードでは外国人選手の高さと速さに太刀打ちできない。だったらシュート力で勝負しようと、とにかくシュート練習をしたんです。

 アメリカでは日本の部活のように1年中部活動をしません。秋から春までがバスケのシーズン。夏はオフシーズンで新シーズンに向けて個人スキルを磨く季節です。桜木はインターハイ前だったので置かれた状況こそ異なりますが、真夏の体育館でひたすらシュートを打ち込んだ桜木の姿と高校時代の自分が重なりましたね」

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