【男子バスケ】富樫勇樹「シャイなままでは世界と戦えない」 (2ページ目)

  • 小永吉陽子●文・写真 text&photo by Konagayoshi Yoko

―― 2戦目と最終戦で左足に打撲を負った中での大会でしたが、ジョーンズカップを戦った手応えは?

 最初の1、2戦は、感覚がつかめませんでした。今まで秋田のチームでは自分がドライブしてキックアウトした時は、少しでも空いていれば必ずシュートを打つチームだったんですけれど、日本代表はシュートを打たずに躊躇してパスを回して、最後にノーマークではないところで打たされてしまうような展開が多いと感じました。個人のスタイルがあるので、シュートタイミングのことは何とも言えないんですけど。

 でも勝ったヨルダン戦は、比江島(慎)さんも田中(大貴)さんも、自分がドライブしてキックアウトしたパスから思い切ってシュートを打っていました。自分がドライブしたらみんながどう動くかとか、試合をするにつれてチームメイトの個性がわかってきたことはプラスです。

―― 富樫選手だったらスピードある展開に持ち込みたいのでしょうけど、日本代表では良さであるスピードがなかなか出せない。これはなぜだと思いますか。

 もっと、アーリーオフェンスからノーマークの状態を作らなければならないと感じました。セットオフェンスになって、結局、悪いシュートを打つくらいならば、もっと空いたところで打てば速いテンポになると思います。

―― チーム最年少でメンバーを指示する立場ですが、どんなことを心掛けてゲームメイクしていますか。

 あの......実はすごくやりづらいです。それは言葉の問題なんですけど、英語だと敬語がないので、年上の人に色々と指示しやすいんですけど、日本語だと言葉が見つからなくて(苦笑)。日本人のセンターとプレイするのが中学以来なので、どういう風に指示を出せばいいのか、最初はやりにくかったです。

―― 『ストレートに指示を出したら生意気に見えてしまう』と、気にしているんですか?

 いや、もう生意気に見られているので、そこは別にいいんですけど(笑)。でも、だんだんとコミュニケーションは取れてきていると思います。「ここはこうしてほしい」という指示は、言わなくてはいけないですから。

―― 日本にいた中学生の頃は取材ではあまり話すほうではなかったですよね。だから今、すごく雄弁になったなと感じていますが。

 昔はシャイでしたよね(笑)。変わったのはアメリカに行ってからです。アメリカにいたら自分の考えていることを話さないとやっていけない。シャイだとやっていけないですから。

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