JBAの育成とスラムダンク奨学金が見据える「日本バスケの未来」 (3ページ目)

  • 水野光博●構成・文 text by Mizuno Mitsuhiro

「『Right things right time』。正しいことを、正しい時期に教えること――。ジュニア世代の育成が非常に重要です。能力を持った選手は数多くいる。それは強いベースです。しかし、ベースがあっても、正しい育成をしなければ、世界で通用する選手には育ちません。現状、日本の選手は技術を身に付けるまでの時間がかかりすぎている。ヨーロッパでは17歳でトップリーグにデビューします。それが、日本では22~23歳。5年もの差が生まれています。技術の獲得を、もっと早めていかなければなりません。しかし一方、こうも言えます。どんな時でも、あきらめるには早すぎる。そして、『Nothing beats hardwork』、ハードワークに勝るものはない――という格言は、私の人生の教訓でもあります。成功の秘訣は、51%のハードワークと、49%の才能です。通常、才能とハードワークは合致しないことが多いものです。私は様々な選手を指導してきましたが、溢れる才能を持ちながら、ハードワークを続けた選手を、ひとりしか知りません。それが、ダーク・ノビツキー(現ダラス・マーベリックス)です」

 正しいことを、正しい時期に――。実際、昨年ジュニアエリートアカデミーに参加し、ロイブル氏の指導を受けた15名の選手の中から、すでに2名がU-16に選抜されている。そのうちのひとりは、所属する中学が、県大会出場すらままならないチームの選手だった。そのため、バスケ強豪校ではない高校への進学を考えていたものの、エリートアカデミーで刺激を受け、「もっと上を目指したい」と、強豪校に進学を決めている。

 数こそ少ないが、『Right things right time』を求め、アメリカに渡った選手もいる。松井啓十郎(現トヨタ自動車アルバイク東京)は、小学生時代からアメリカのバスケキャンプに参加。中学時代、1年生はボールを持たせてもらえないという日本独自の習慣に馴染めず、インターナショナルスクールに編入。その後、渡米して強豪モントロス・クリスチャン高でプレイ。さらに、日本人男子として初となるディビジョンⅠのコロンビア大でもプレイした。大学時代、対戦経験のあるジェレミー・リン(現ヒューストン・ロケッツ)について、彼はこう言う。

「彼と同じくらい速い選手は、日本人にもいる。でもリンは、フィニッシュの技術が圧倒的に高い。アメリカでずっとプレイしたからこそ身についた技術であり、武器だと思います。たしかにアメリカのレベルは高い。でも、『これだけは負けない』という自分だけの武器を磨けば、道は必ず開けると思います」

 伊藤大司(現トヨタ自動車アルバイク東京)も、自らの意思で海を渡ったひとりだ。全中準優勝、大会ベスト5に選出された経歴を持つものの、一足先に留学していた兄が一時帰国した際、1on1をすると、その上達具合に驚き、インターハイやウィンターカップでの活躍よりも渡米を選んだ。もちろん、アメリカに行くだけではうまくなれない。伊藤は、「運も良かった」と謙遜するが、当初、留学した高校のBチームだった伊藤は、「Bチームでやるために日本から来たんじゃない。練習だけでいい。Aチームに参加させてほしい」と、コーチに直談判した。そして、Aチームの練習に参加。直後、故障者が出たため、正式にAチームに昇格した。たしかに、運もあった。ただ、それを掴み取るために手を伸ばしたのは、伊藤自身だ。高校時代、ケビン・デュラント(現オクラホマシティ・サンダー)とチームメイトだった伊藤は言う。

「バスケがうまくなるために、何が正解かなんて分からない。ただ、レベルの高いアメリカでやることは、僕にとっては間違いなくプラスでした」

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