【車椅子バスケットボール】4度目のパラリンピック。京谷和幸41歳の『最後の挑戦』
京谷の所属する千葉ホークスは日本選手権で3位だった「俺がなんとかしてやる」
自身にとって4度目、そして最後だと心に決めているロンドンパラリンピックの舞台をかけた大一番。車椅子バスケットボール日本代表の"精神的支柱"京谷和幸は、コートにいながらチームを俯瞰(ふかん)し、ベテランとしての役割に徹していた。
昨年11月のロンドンパラリンピック・アジアオセアニア地区予選。開催地の韓国を相手に、試合終了まで残り30秒で1点差まで迫られていた。負ければ、日本はパラリンピックに出場できない。冷静さを失いかけた選手に京谷は駆け寄り声をかけた。「大丈夫だ、大丈夫」。韓国コールが鳴り響くなかで、経験豊富な京谷の存在、その一言は、若い選手たちにとってどんなに心強かっただろう。
車椅子バスケット日本代表チームで10番を背負う京谷は、元ユース日本代表、元Jリーガーという経歴の持ち主だ。Jリーグ開幕の年、交通事故で腰椎と胸椎を損傷し、22歳で車いす生活になった。その後出合った車椅子バスケットで日本代表の座を掴み、シドニー・アテネ・北京パラリンピックに出場。北京大会では日本選手団主将を務めて注目を浴びている。
冒頭の緊迫した場面で、日本のセンター藤本が逆転のシュートを放った。エースのためにスクリーンを仕掛けに行った京谷は、そのままゴール下に駆け込んだ。
「自分がオフェンスリバウンドを取りにいくことはめったにない。でも、藤本がなんとなく外しそうな表情をしているのが見えたから、空いたスペースに動きました」
その読みがズバリ的中。リングに嫌われたボールは、京谷の元にこぼれ落ちた。
その後、京谷のパスを受けた宮島が決めて逆転ゴール。ピンチは試合終了まで続いたが、結局、京谷のアシストは決勝点になった。
「あの場面でリバウンドを取るなんて、やはり京谷さんは"持っている男"だなと思いました」と話すのは、23歳の香西宏明。「経験豊富な京谷さんがいてくれるだけで落ち着いてプレイできます」
チームが逆境に立たされているときこそ、存在感を発揮する。