ロッシの後輩、シモンチェリの短過ぎた生涯。遺志を継ぐ日本人がいる (2ページ目)
1987年生まれのシモンチェリがグランプリにフル参戦を開始したのは03年、16歳のときだ。125ccのバイクが窮屈に見えるほど、当時からすでに大きな体躯(たいく)が目立つ選手だった。ただ、この時代の彼はまだ垢抜けない朴訥(ぼくとつ)な風貌で、成績そのものよりも、荒っぽいライディングによる他選手との接触行為が話題になることのほうがむしろ多かった。
才能が開花し始めたのは、250ccクラスに昇格してからのことだ。なかでも中排気量2年目の07年は、短かった髪を伸ばし、アフロスタイルにしたことで一気に注目が集まった。当時、MotoGPクラスのヤマハファクトリーチームに在籍していたコーリン・エドワーズが、「おまえ、いったいどうやってその髪の毛をヘルメットの中に収めているんだよ」と笑いながら訊ねたことがある。この時代のシモンチェリは、奇抜なヘアスタイルとファッションでパドックの注目を集める存在になっていた。
余談になるが、彼のアフロスタイルはパーマではなく、あくまでも地毛である。癖の強い天然の巻き毛を伸ばし放題に放置しておくと、耳かきの梵天(ぼんてん)のようなあの独特のヘアスタイルになるということのようだ。
シモンチェリの髪型にまつわるエピソードといえば、彼を目にかけて可愛がっていた同郷の先輩ロッシがこんな発言をしたことがあった。ロッシとシモンチェリがともに王座を獲得した、08年末のことだ。
「シッチも(250ccクラスの)チャンピオンを獲ったんだから、そろそろあのむさくるしい髪をなんとかしたほうがいいよね」
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