70歳で現役。伝説のラリードライバー篠塚建次郎は「喜寿まで走る」 (2ページ目)

  • 川原田剛●取材・構成 text by Kawarada Tsuyoshi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

――まさに天国から地獄。

 僕のドライバー人生最大のミスですね。それでもフランス・ニッサンの人が救ってくれて、04年と05年にはサテライトチームから出場しました。06年にはサテライトチームがなくなってしまったのですが、ほぼプライベーターとしてイタリアのチームから参戦にこぎつけました。07年は日本のタイヤメーカーが予算を出してくれたので、パリダカを走ることができました。

 08年は現地の治安悪化によってラリーが中止となりました。それまでパリダカに22回出場し、まだまだ走りたいと思っていましたが、突然、私とアフリカの関わりが終わってしまいました。

――その後、2009年には東海大学の学生とともに世界最大のソーラーカーレース『ワールド・ソーラー・チャレンジ』で優勝していますし、電気自動車やクラシックカーのラリーなど幅広いイベントにも出場しています。

 何でも走れれば楽しいんですよ。でも最後にパリダカを走った07年から、心の中ではアフリカをもう一度走りたいとずっと思っていました。09年以降、安全面を考慮してダカールラリーは南米が舞台になりますが、南米は個人的にあまり興味はないんです。

――なぜ、そこまでアフリカにこだわるのでしょうか?

 サハラ砂漠は難しいですが、とにかく広大で面白い。360度見渡しても地平線しか見えないところもあるし、100キロ、200キロと走り続けても景色がまったく変わらないところもあります。逆に砂丘が連続するようなところもある。

 そんなところをいまだにラクダが荷物を運んでいるのですが、我々のクルマが一緒に走るんです。その時代の落差、文明の落差はアフリカに行かないと経験できません。

 いちばんの魅力は、とにかく思いっきり走れることかもれません。たとえば今日500キロを走るとしたら、スタートからゴールまでアクセル全開です。そんなところ世界中にないですよね。走り屋としては最高に気持ちいいわけです(笑)。

 70歳になり、やっぱりどうしてもアフリカで走りたいという思いが出てきて、昔からのコネクションを生かしてチームを結成することにしました。

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