君はマン島TTを知っているか。100年の歴史に挑む日本メーカーの軌跡 (5ページ目)

  • スティーヴ・イングリッシュ●取材・文・撮影 text & photo by Steve English
  • 西村章●翻訳 translation by Nishimura Akira

 その19年後、1976年にスズキのマシンを駆るジョン・ウィリアムスが平均時速110マイル(177km)に到達した。また、この年にはジョイ・ダンロップもマン島デビューを飾っている。北アイルランド出身のこの青年は、のちにマン島で26勝を達成し、史上もっとも偉大なライダーのひとりと言われるほどの選手になる。

 そしてこの年を最後に、マン島TTはグランプリカレンダーから外されるようになった。コースの安全性を憂慮する選手たちの要求が通った格好だ。翌年以降、世界のトップライダーたちにとって、マン島のコースを走ることは契約上課せられた義務ではなく、自らそこに挑みたいと思うかどうか、という意思の問題になったわけだ。

 世界グランプリの年間カレンダーから外れても、マン島TTはその魅力を失わなかった。WGPを引退していたマイク・ヘイルウッドが1978年にドゥカティのマシンで復帰を果たし、優勝を飾った一件は、世界的にも注目を集めた。マン島TTのシニアクラスで優勝することは、やはり大きなニュースと見なされていたのである。

 1980年代のTTは、ホンダとジョイ・ダンロップの時代だった、と言っていいだろう。このコンビは毎年のように勝利を重ね、フォーミュラワンクラスでの6連勝という輝かしい記録も達成した。現在もなお、ダンロップの名は人々に愛されている(訳注:ダンロップは2000年にエストニアの公道レースで逝去)。

 1980年代最後の年には、スティーヴ・ヒスロップが平均時速120マイル(193km)の壁を破った。130マイル(209km)に到達したのは、2007年のジョン・マクギネス。平均時速は、約20年ごとに10マイル更新されている計算になるが、その間隔は短縮傾向にある。この数字がいったいどこまで伸びるのかは知るよしもないが、今のところ1周当たりの最高平均時速はピーター・ヒックマンが記録した時速135マイル(217km)である。

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