鈴鹿が一体になった日。小林可夢偉の3位表彰台にみんなが涙した

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki
  • 桜井淳雄●撮影 photo by Sakurai Atsuo(BOOZY.CO)

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【2012年10月 F1日本GP】

 1990年日本GP、鈴木亜久里(ラルース・ランボルギーニ)。2004年アメリカGP、佐藤琢磨(B・A・Rホンダ)。そして、2012年日本GP――。小林可夢偉(ザウバー)が日本人ドライバー3人目となる表彰台に上がってから、早くも7年が経った。日本人F1ドライバー不在が久しい昨今、可夢偉がセバスチャン・ベッテルやルイス・ハミルトンらと壮絶なバトルを繰り広げていた事実に、軽いめまいすら覚える。それほど、あの時の可夢偉の速さには、誰もが目を奪われた。F1を長年取材しているジャーナリストは、2012年の日本GPで何を見たのか。

日本人3人目となるF1表彰台に立った小林可夢偉日本人3人目となるF1表彰台に立った小林可夢偉 これまでのF1取材人生で記憶に残る場面はさまざまあるが、なかでも最も印象深かったのは、小林可夢偉が表彰台に立った2012年の日本GPだろうか。

 この年のザウバーは速かった。いや、マシン特性が合わないサーキットでは後方に沈んでいたが、それがピタリと合うサーキットでは抜群に速かった、と言ったほうが正確だろう。

 マレーシアGPでは赤旗中団となるほどの雨のなか、戦略がハマって、ザウバーのセルジオ・ペレスが本家フェラーリのフェルナンド・アロンソを追い回して2位表彰台を獲得してみせた。カナダGP、イタリアGPでは、予選で下位に沈んだペレスが決勝でギャンブル的な戦略を採り、これが見事に当たって表彰台を獲得していた。

 そのいずれも、同じ戦略を採っていれば表彰台に立っていたのは、可夢偉だった。ドライバーズサーキットとして知られるスパ・フランコルシャン(ベルギーGP)では、マシン特性もマッチして予選2位の速さを見せ、フロントロウからスタートする場面さえあった。しかし、いつも可夢偉のレースは運に恵まれず、速さが表彰台という結果につながることはなかった。

 オーストラリアGP=6位、スペインGP=5位、ドイツGP=4位。速いとは言っても、ザウバーの実力では上位にいけても4、5位で、表彰台に立てるのは荒れたレースでギャンブル的な戦略が当たった時。可夢偉は実力でチームメイトよりも前にいたがゆえに、正攻法の戦略が与えられて結果を出せず、それと異なる戦略のペレスだけが目立った結果を残すという皮肉なシーズンだった。

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