2019.05.01

日本人ライダー、平成最後の
MotoGP勝利は玉田誠。2004年の圧倒的な快走

  • 西村章●取材・文 text by Nishimura Akira
  • 竹内秀信●撮影 photo by Takeuchi Hidenobu

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン

【2004年9月 MotoGP日本GP】

 平成元年のロードレース選手権は、エディ・ローソンが4度目の年間王者に輝いたシーズンだった。それほど、31年間の平成を振り返るとなると、いろんな思い出がある。二輪ロードレースの世界を長く取材し、現地でさまざまな出来事を目撃してきたジャーナリストは、どのシーンを取り上げるのか。

ツインリンクもてぎのコースを玉田誠は誰もより速く走った 二輪ロードレースの世界は、かつて「コンチネンタルサーカス」と呼ばれていたことからもわかるように、欧州文化ときわめて関わりが深い競技だ。

 時代を振り返る場合は、1980年代や90年代、2000年代といった、10年ごとの区切りで考えることが一般的だ。あるいは、最高峰クラスの技術仕様が2ストローク500ccから4ストローク990ccへと変更になり、競技の呼称もWGPからMotoGPへと移り変わっていった2002年を分水嶺とする区分も、明快でわかりやすいだろう。

 そこに、あくまで日本の国内的な時間尺度にすぎない「平成」という単位を持ち込むと、ルネッサンス史を日本の年号で語るのに等しい奇妙な違和感が生じる。平成、という時間軸で捉えるならば、日本人選手でいえば、平忠彦氏が資生堂Tech21レーシングで参戦していた時代からLCR Honda IDEMITSUの中上貴晶までを含んでしまうのだから、どうしても無理矢理感が生じるのはやむをえない。

 ただ、その間を振り返ると、中小排気量クラスでの日本人選手たちの台頭と圧倒的な活躍、3クラス9表彰台のうち8個を日本人が占めた2000年の鈴鹿など、さまざまな出来事があった。いくつかの悲劇もあれば、2011年東日本大震災直後の開幕戦で優勝したケーシー・ストーナーが「ガンバレ日本」と大書された日の丸を表彰台で掲げる感動的なひと幕もあった。

 それらの数々の出来事のなかから、あえてひとつを選ぶならば、ツインリンクもてぎで行なわれた2004年の日本GPを取り上げてみたい。