ホンダ強いぞ、鈴鹿で完勝。亜久里監督のF1時代を超えた驚速タイム (2ページ目)
今年の予選日は北西からの風が非常に強く、1コーナーと西ストレートでは追い風となってマシンのスピードが増したことも、好タイムの要因となったようだ。ただ、筆者の記憶ではテストでの非公式記録も含めて1分44秒台というタイムは聞いたことがなく、まさに鈴鹿でのGT500最速ラップが誕生した瞬間と言えるだろう。
この最速ラップについて、鈴木監督も驚きを隠せない。
「こんなに速くなるとは思いませんでした。44秒は......考えてもみなかったです。46秒の前半ぐらいはいくだろうなと思っていたけど、それが44秒台ですからね。いきなり次元の違うところに来ちゃいましたね」
ARTAがGT500クラスでシリーズチャンピオンを獲得したのは、11年前の2007年。鈴鹿サーキットで行なわれた開幕戦では伊藤大輔が1分49秒842をマークし、初めてGT500マシンが1分50秒を切るという衝撃があった。11年前もサーキット全体がどよめきに包まれたが、そのときを彷彿とさせる「速いARTA」が蘇った鈴鹿ラウンド予選日となった。
そして5月20日。迎えた決勝も、「強いARTA」を証明するようなレースとなる。スタートを担当したベテランの伊沢が、直後の1コーナーから2番手以下を一気に引き離していく。2番手の100号車(バトン)がミディアムタイヤを装着していたのに対し、伊沢が駆る8号車はソフトタイヤを選択。タイヤのウォームアップに苦しむバトンを尻目に、伊沢はどんどんリードを広げていった。
しかし、事はそう簡単には進まない。14周目にヘイキ・コバライネン(DENSO KOBELCO SARD LC500/ナンバー39)がスピンしてコース脇にマシンが止まり、安全に車両回収を行なうためにセーフティカーが導入されたのだ。これで伊沢が築き上げてきた10秒のリードは、たちまちゼロとなってしまう。
スーパーGTでは、こういった場面からレースの流れが変わることが多々ある。実際にレース再開後には、2番手に浮上したニック・キャシディ(KeePer TOM'S LC500/ナンバー1)が8号車の背後に食らいついてきた。それでも経験豊富な伊沢はまったく動じず、レース再開後もトップを死守。24周を終えたところでピットインし、野尻へと交代する。
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