2018.02.28

F1ホンダは事実上「第5期」に。
猛獣と呼ばれるトップが再建に自信

  • 米家峰起●取材・文・撮影 text & photo by Yoneya Mineoki

 2018年シーズンに向けて、ホンダは大きく舵を切った。

 名門マクラーレンと決別し、中堅トロロッソとタッグを組むというだけではない。ホンダ自身も開発と運営の体制をガラリと変え、2015年に復帰した第4期F1活動は再出発を切るどころか、”第5期”と呼んでも差し支えないほどの変貌を遂げようとしている。

F1ホンダを牽引する山本雅史氏(左)と浅木泰昭氏(右) 開発のトップに就いたのは、浅木泰昭。1980年代に第2期F1活動の立ち上げから携わり、連戦連勝の成功を肌身で味わった人物だ。

「当時ホンダはF2を隅っこのほうで細々とやっているくらいで、まったく何もないところからスタートしました。1.5リッターV10ターボをはじめいろいろ検討しましたが、燃費規制導入の情報を鑑みて、F2で成功していた2リッターV6エンジンをショートストロークにし、バカでかいボア(ピストンの径)にものすごく短いストロークというエンジンでF1を戦い始めました。

 過給エンジンでボアが大きすぎるとなると、ピストンの耐久性を担保できないんです。それで私も相当生意気な人間なんで、まだ24~25歳だったけど上司に喰ってかかって、『こんなボアで戦えるわけないじゃないか!』って言って(苦笑)」

 まだ小さな所帯だった当時のF1開発部隊では、燃焼からターボ、制御、耐久テストまでなんでもやり、全部に口を出したという。1983年にスピリット・ホンダでF1に復帰したホンダは同年にウイリアムズと組み、エンジンのボアを縮小してロングストローク化した1985年からは急激に力をつけ、頂点へと駆け上がっていった。

 短期間での成功の裏には、勝つためには何でもやるという血気盛んなところと、どんな意見でも耳を傾けるという風通しのよさがあった。それがホンダらしさの源(みなもと)であり、ホンダの強みだった。

「当時のホンダにはまだ中小企業の名残みたいなところがあって、若造の言うことでも馬鹿にせずにちゃんと聞いてくれる雰囲気があった。そんなところから段々勝てるようになっていったんです」