ウマ娘でも「復活」が描かれるトウカイテイオー。ジャパンCでの感動的な勝利は日本馬に大きな影響を与えた
メディアミックス作品「ウマ娘」において、主要キャラのひとりとして登場するトウカイテイオー。アニメ版の1期ではチームスピカの歌とダンスのコーチを引き受けるという役割であったが、2期ではメジロマックイーンとのライバル譜や、ケガから不死鳥のように何度も復活する様が全編をとおして描かれていた。
外国招待馬になかなか勝てない時代に、ジャパンCで勝利を挙げたトウカイテイオーこの記事に関連する写真を見る モデルとなった史実のトウカイテイオーも、現役期間中に何度も故障などによる長期離脱を余儀なくされ、その度に劇的な勝利とともに復活を果たしてきた。ウマ娘のストーリーはそれらがモチーフとなっている。
ところが、この復活劇のうち、実はひとつだけストーリーに反映されなかったエピソードがある。それが、今から30年前の1992年、5歳(現4歳/以下旧表記)秋での、ジャパンカップ制覇だ。
5歳となって、日本ダービー以来となる復帰初戦の産経大阪杯を持ったままで勝利し、無敗のまま天皇賞・春に向かったトウカイテイオー。しかし、最強のライバルとして立ちはだかったメジロマックイーンに敗れただけでなく、カミノクレッセ、イブキマイカグラ、ホワイトアローにも先着を許し、まさかの5着に敗れてしまう。レース後にはレース中に骨折していたことが判明。幸い軽症で、秋には戦線に復帰できる見込みだったため、残る春シーズンを休養に充てた。
ところが、5歳秋初戦の天皇賞・秋では、メジロパーマーとダイタクヘリオスの作り出した超々ハイペースにつき合う形の3番手でレースを進めた結果、ゴール前で失速して7着と、春よりも悪い着順となってしまった。
「もしかすると、トウカイテイオーはそれほど強くない、あるいは早熟だったのでは......?」
大阪杯までが圧倒的だっただけに、2戦続けての馬券圏外での敗戦は、いつしかファンたちの心中に、そういった疑問が生じるようになっていた。
トウカイテイオーは続くレースに、ジャパンカップを選択した。
ジャパンCはこの年から国際GIとなったが、当時の日本の競馬は、世界の仲間入りを果たせたとはまだまだ言い難い状況。ジャパンCもそれまでに11回行なわれてきたが、当時は今から想像ができないほどに外国勢が強く、過去11回で日本調教馬が勝ったのはカツラギエースとシンボリルドルフによるわずか2勝のみ。国外からの賞金稼ぎの草刈り場と言っても過言ではなかった。
ましてやこの年の外国招待馬は実績馬が揃っていた。
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