マイルCSで懐かしむ。競馬界の常識を覆した最強のマイル王タイキシャトル (2ページ目)

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Kyodo News

 このレースは当時、3歳馬には分が悪いレースだった。1984年の創設以降、3歳でこのレースを制したのは、1988年のサッカーボーイただ1頭だった。

 そうした状況にあって、タイキシャトルはこのレースで2番人気。単勝は3.8倍だった。

 このあと、タイキシャトルは常に1番人気で、単勝が2倍以上のオッズをつけたことはない。この時はまだ、ファンもその強さに対して半信半疑だったことが、この数字と人気に表われている。

 少し話が逸れるが、以前、あるジョッキーと「一番強い馬は?」という話をしたことがある。その時、GIをいくつも勝っているそのジョッキーは、「先行して、抜け出して、突き放す馬」と言った。

「これなら、負けようがない」と。

 実は、このマイルCSにおけるタイキシャトルのレースぶりが、まさしくそうであった。道中、ハイペースのなか、楽に4~5番手につけて追走。直線を迎えて馬群から抜け出し、残り200mを切ったあたりで逃げるキョウエイマーチを捉えて、あとは突き放すのみだった。

 先行して、そのうえ、上がりも最速。これでは、他の馬に付け入る隙はない。GI馬が6頭出走していたこのレースで、タイキシャトルは2馬身半差の快勝劇を披露した。

 同馬が"規格外"の馬として、ベールを脱いだ瞬間でもあった。

 その後、タイキシャトルはGIスプリンターズS(中山・芝1200m)に駒を進めて、ここでもあっさり勝利。秋のマイルGIとスプリントGIを同一年に制したのは、史上初めての快挙だった。

 この成績から『年度代表馬』との声も上がったが、実際に選出されたのは、GI天皇賞・秋(東京・芝2000m)を制したエアグルーヴだった。この年、エアグルーヴが勝ったGIは、その天皇賞・秋のみ。それでも、年度代表馬に選ばれたのは、やはり「中距離こそ、王道」という考えが、競馬界における"常識"だったからだろう。

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