2019.06.19

宝塚記念で思い出すメジロライアン。
戦法転換でついに無冠を返上した

  • 新山藍朗●文 text by Niiyama Airo
  • photo by Nikkan sports/AFLO

 スタートして、最初のコーナーを回って、馬の並びが落ち着き始めた頃、ファンの多くは「なんか違う......」と思い始めていた。

 1991年6月9日、阪神競馬場の全面改築工事によって、この年は京都競馬場で行なわれたGI宝塚記念(芝2200m)。10頭立てで、単勝1倍台の支持を集めたメジロマックイーンが単枠指定されたレースだった。

 メジロマックイーンとは差があったものの、2番人気も同じ「メジロ」のメジロライアン。メジロ勢が上位人気を独占したことから、この時のレースは「メジロ記念」とも言われた。

 ファンが感じた「なんか違う」の原因を作ったのは、2番人気のメジロライアンのほうだった。

 ここまでに両馬はGIで2度対戦し、勝ったのはいずれもメジロマックイーン。そして、そのときの位置取りは、どちらもメジロマックイーンが先行して、メジロライアンが後方から追い込む、というものだった。

 ところが、この時は、追い込むはずのメジロライアンが逃げ・先行勢に次ぐ2~3番手を追走し、直後にメジロマックイーンが続いていた。つまり、いつもと位置取りが逆だったのだ。

 もともとメジロライアンは、豪快な末脚を武器としていた。新馬、未勝利の頃を除けば、ずっと後方一気の追い込み策をとって結果を出し、一流馬にのし上がっている。

 このときの先行策は、その"プロフィール"とは明らかに違う。ゆえに、多くのファンがある種の違和感を覚えたのだ。

 しかし、この先行策こそ、それまでにメジロライアンが抱えてきた鬱憤も、無念も、一気に晴らす起死回生の一手だった――。

宝塚記念で念願のGI制覇を遂げたメジロライアン メジロライアンは、早くから「大器」と言われ続けていた。1990年のGI日本ダービー(東京・芝2400m)では、1番人気に支持されている。

 だが、このダービーも、その前のGI皐月賞(中山・芝2000m)も、善戦したものの、勝ち切れなかった。ともに強烈な追い込みを見せるが、皐月賞は3着、ダービーは2着と一歩及ばなかった。

 三冠最後の菊花賞(京都・芝3000m)では、皐月賞馬、ダービー馬も故障で不在。「今度こそ」と願ったファンの期待は大きく、単勝は2.2倍。ダービーに続いて1番人気に支持された。