フランス競馬界で知らぬ者はない、小林智調教師が現地で開業するまで (2ページ目)

  • 小川由紀子●文 text by Ogawa Yukiko  photo by AFP/AFLO

――「職業」として考えるようになったのは?

小林 大学3年でそろそろ就職活動という時、車が好きだったので自動車メーカーなども考えていたんですが、大学の4年間、夏だけやっていた市民プールの監視員のバイトがあって、そこは体育会系で、個性的なバイト仲間がたくさんいたんです。アメリカの大学に通って夏だけ帰ってきている人とか、花火師を目指していた人とか。あ、彼は実際にいま花火メーカーに勤めているんですよ! 彼らに刺激されて、「僕も何かやらないとな」と。

 そのとき『優駿(JRA発刊の競馬専門誌)』を読んでいたら、厩務員課程募集があって「これだ!」と。自分のした仕事が結果になって返ってくる。会社に入ると自分がした仕事の成果はなかなか見えにくいですし、こういう仕事がいいな、と。

――それで早速応募を?

小林 ただ、当時は応募資格に牧場経験3年が義務付けられていたんです。そうしたら、たまたま別のバイトの主任さんで親戚に牧場関係者がいる方がいて、「競馬が好きで牧場で働きたいんだ」と話していたら、「じゃあ紹介してやるよ」と。それで雇ってもらえることになったんです。親父は最初、怒っていましたけどね(笑)。

――バイト先で牧場を紹介してもらえたとは、まるで導かれたようなご縁ですね。

小林 その牧場では、結局5年間働かせてもらいました。その間、厩務員試験は3回受けて、点数は取れた自信はあるんですが(笑)、3回とも不合格で。当時は相当な倍率で800人くらい受けていたと思います。

 ただ、その牧場ではオーストラリアやアイルランド、イギリス、フランスといった競馬の先進国に研修に行かせてもらったり、社長が海外に馬を持っていたんです。当時は日本の馬はそれほど海外に遠征している時代ではなくて、フジヤマケンザンくらいでしたから、逆に競馬界に入ったら、競馬社会に閉じこもってどこも見られなくなるんじゃないか、それなら、この牧場は国際的なのでたくさんのことを見られて面白いかな、見識も広がるかなと、そう思って試験を受けるのをやめて、牧場に骨を埋める気持ちになっていたんです。

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